東海道品川宿のはなし 第17回

更新日:平成20年12月12日

地域のお年寄りからの聞き書きなどをまとめた資料から、品川宿の冬の行事を暮れ・正月を中心にご紹介します。

 

品川宿の正月支度は、まず「錺(かざ)りもの市」から始まりました。

江戸時代には、12月22日から南品川の貴船神社(現在の荏原神社)門前地から境内にかけて市が立ち、門松や注連飾りから台所用具や羽子板にいたるまで売られて、宿内だけでなく近在からも大勢の買い物客を集めました。

売り手は宿の人たちでしたが、注連飾り・輪飾りなどは隣村の大井や大崎あたりの農家で作ったものを仕入れていました。羽子板は浅草から仕入れていたということです。

 

暮れにつきものの餅つきは、品川宿では25日頃から始まり、30日までには終えるようにしていましたが、29日だけは「苦をつく」ことになるといって餅つきはしないのが普通でした。

奉公人や出入りの職人の多い商家などでは自分の家でつくこともありましたが、宿内の多くの家では、餅屋に注文したり町内の仕事師(頼まれて町内のさまざまな雑用を請け負う人々)に頼んでついてもらったりする場合が多かったようです。

この、仕事師についてもらった餅を「ひきずり餅」といいました。

頼まれた仕事師が餅つきに来るとき、臼を引きずって来たことからこのようにいわれるようになったとされています。

 

元日には仕事を休み、その年の「あき」の方、つまり「恵方」(えほう)にあたる神社やお寺に「恵方詣り」に行きました。

品川宿で暮らす人々のお詣り先は成田山・羽田の穴守稲荷・川崎大師などが主でしたが、鎮守へ初詣に行く人も多く、とりわけ南北の天王社である荏原神社・品川神社には大勢の参詣人が訪れたと伝えられています。

 

16日は、東海寺の「山門開き」で、この日は一般の町民も山門にのぼることが許されていました。

また、16日は「南品川のおえんまさま」として知られた長徳寺の「閻魔詣り」でもあり、閻魔堂の扉が開かれて堂内や本堂に地獄の様子を凄惨な図柄で描いた六道絵が掛けられ、境内や入り口には露店も出て参詣人で賑わいました。

参詣の人は、閻魔堂にこんにゃくをお供えしたといわれています。

これは、こんにゃくを舌の代わりにお供えし、自分の舌を抜かれるのを免れようとしたものであろうと、お寺では伝えられています。

 

品川宿23
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