東海道品川宿のはなし 第24回

更新日:平成20年12月15日

今回は、品川宿で名水と呼ばれる良い水が湧き出す井戸と水屋について、お話しましょう。

江戸時代、海辺に沿う地域であった品川宿での飲料水は、飲用に適した井戸が少なかったため、水屋から買い入れるものと、付近の良水が湧き出す井戸から汲んで使用するもの、各自家の井戸を使用するものとがありました。

 

歩行(かち)新宿(概ね北品川1丁目付近)では、東海道の表通りにあった井戸の水を飲料にしていたほか、水屋からも買っていました。

北品川宿では、各自の井戸のほか、水屋が売る水を使っていましたが、この水もとは北品川3丁目の清徳寺の井戸でした。

 

南品川宿では、海徳寺境内に井戸があり、付近の人たちは各自汲んで使用していました。

このほか、各自家にある井戸を使い、井戸に潮さすようなところでは水屋の水を使っていました。

南馬場や奥馬場(現・南品川4丁目の一部)の井戸の水は水屋によって販売されていました。

南品川猟師町のほとんどは飲用に適した井戸がなく、水屋より購入していました。

 

水屋渡世の人数は、北品川宿に3人、南品川宿に1人で、水屋は株仲間をつくっていました。

これら水屋の販売料金は、運搬料ともいえるもので、天保13年の記録では、遠近によって3区分され、一荷20文、16文、12文でした。

 

次に、品川宿で、名水と呼ばれた井戸についてですが、特に知られているのが『江戸名所図会』 (えどめいしょずえ)に「磯の清水」として挿絵付きで紹介されている「清水井」で、今の京浜急行北品川駅南側付近にありました。

この清水井戸の水は、銘々で汲むことはできず、水屋から買い入れて使用しました。

この井戸への横町は、もとは鳥屋横町と呼ばれていたのですが、のちに清水横町と変わってしまいました。

 

このほかに、名水として名高いのが東海寺中の「豢龍水」 (かんりょうすい)で、将軍家御成の時、お茶を献じるのに用いたと伝えています。

この権現山から東海寺・清徳寺付近の水は権現山水系の水といわれ、明治になって海軍省は、この権現山の水を艦船の飲料水にするため、権現山を海軍用地としてこの水を目黒川岸まで引き、給水所を設けたのです。

これは俗に「あんじゃの井」と呼ばれ、その後、用地は鉄道省に移管されましたが、水は水屋や水上生活者に使用されていました。

 

旧来の井戸や水屋からの飲料水の使用から水道にかわったのは、玉川水道によって大正10年(1921)11月、給水がはじまってからでした。

水道の布設された地域は、南品川方面を始めとして、順次北品川宿、二日市、歩行新宿に及び、さらに工場地帯へと拡張していきました。

こうして昭和7年には品川町全域に及ぶようになったのです。

 

品川宿30
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