品川人物伝 第6回

更新日:平成22年8月18日

明治時代の実業家 原六郎

品川歴史散歩案内 品川人物伝 第6回 23.1.1~1.31

明治時代の実業家 原六郎(ろくろう)

 

品川人物伝第6回は北品川の御殿山に広大な邸宅を構えていた明治の実業家、原六郎を紹介します。

 

尊皇攘夷の参加

原六郎は、天保13年(1842年)、現在の兵庫県朝来(あさご)市の豪農、進藤丈右衛門(じょうえもん)の六男として生まれ、幼名は俊三郎(しゅんざぶろう)といいました。

13歳の時、儒学者・池田草庵の青谿書院(せいけいしょいん)で学び、その後、尊皇攘夷運動に奔走します。

文久3年(1863年)、平野国臣(くにおみ)の生野挙兵に参加するものの敗走し長州藩へ逃れます。

この時、原六郎と改名しています。

長州藩では、大村益次郎に砲術を学び、第2次長州征伐では遊撃隊として幕府軍と戦い、戊辰(ぼしん)戦争では各地に転戦して功をたてました。

 

銀行家への転身

維新後は財界に転じて、明治4年にはアメリカに留学、その後イギリスに渡り、経済学や銀行経営について学び、明治10年(1877年)に帰朝しました。

翌年には、第百国立(だいひゃくこくりつ)銀行を東京に設立して頭取となります。

その後も東京貯蔵銀行等多くの銀行設立に参与しています。

明治16年(1883年)には、経営が混乱した横浜正金銀行の頭取に就任し経営再建を成し遂げました。

また、産業界においても、富士製紙等多くの会社の社長や重役を勤め、殖産事業の振興、日本の近代化に尽力しました。

大正8年(1919年)に実業界を引退し、昭和8年(1933年)、92歳で死去しました。

墓所は多摩霊園(東京都府中市)にあり、墓前には銅像が建てられています。

 

御殿山の邸宅

六郎が北品川の御殿山に広大な庭園と邸宅を構えたのは明治25年頃です。

その敷地の一角に建てられた跡継原邦造(くにぞう)の邸宅は東京国立博物館本館等を手掛けた建築家渡辺仁(じん)によって設計されたものです。

20世紀初頭のヨーロッパモダニズム様式の洋館で、現在は原美術館として活用されています。

主に現代美術の展示会やイベントが行われ、国内外の作品にふれることができます。

また、六郎は古美術にも造詣が深く、国宝「青磁下蕪花生(せいじしもかぶらはないけ)」や重要文化財「縄暖簾図屏風(なわのれんずびょうぶ)」などの名品を収集しました。

原六郎コレクションとして美術館を運営する財団が所有しています。 

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御殿山周辺の街並み

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品川人物伝 第7回は、 星一(はじめ) をお送りします。

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