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品川人物伝 第17回

更新日:2012年5月31日

「ゼームス坂」ゆかりの ゼームス

品川歴史散歩案内 品川人物伝 第17回 23年12月1日~12月31日

「ゼームス坂」ゆかりの ゼームス

 

品川人物伝第17回は、「ゼームス坂」ゆかりのゼームスを紹介します。

ゼームスは天保10年(1839年)、イギリスに生まれました。

海軍退役後、東アジア最大級の貿易商社、ジャーディン・マセソン商会に入社、慶応2年(1866年)28歳の時、長崎支店勤務となり来日しました。

当時、マセソン商会の長崎代理店はグラバーが設立したグラバー商会でした。

グラバー商会はこの時期、倒幕派の諸藩との関係を深めていました。

 

ローナ号の船長を務める

ゼームスも坂本龍馬や亀山社中(後の海援隊)の関係者と知り合う機会があったものと想像できます。

ゼームスは海援隊の隊士であった福井藩士、関義臣をイギリスへ密出国させるため、自らが船長を務めるローナ号に乗船させています。

ローナ号はシンガポールへ向かう途中、大暴風雨に遭いさらに海賊にも襲われ、関の密航計画は挫折しますが、九死に一生を得たゼームスと関は、生涯を通じて固い友情で結ばれました。

明治元年(1868年)、ゼームスは航海術の専門家として熊本藩細川家の委嘱を受け、軍艦「龍攘(りゅうじょう)」 の建造のためイギリスに出張、明治3年に艦長として長崎に帰着しました。

 

日本海軍への尽力 

明治5年(1872年)、航海術の御雇(おやとい)教師として海軍省に入り、翌年から、日本海軍の指導にあたりました。

明治10年(1877年)の西南戦争に際しては、船長として豊後水道(ぶんごすいどう)の封鎖や偵察を行っています。

明治15年には、燈台巡視船「明治丸」の2代目の船長に就任、翌年には明治政府がイギリスから購入した軍艦2隻の回航に従事しています。

このように、ゼームスは黎明期の日本海軍に大きな足跡を残し、明治23年(1890年)に海軍省の嘱託を辞しました。

明治政府はゼームスの功績に対して、終身年金を給付することとし、明治28年(1895年)には、勲二等旭日章(くんにとうきょくじつしょう)を贈りました。

 

ゼームス坂のいわれ 

ところで、ゼームスが現在の品川区南品川に住むようになった時期については、明治20年代と言われています。

ゼームス邸は当時、「浅間坂」と呼ばれた坂下に向かって、左手の小高い丘の上にありました。

林に囲まれた広 い敷地の中に、洋館が建てられていました。

この坂は急傾斜で地元の人々はたいへん苦労していました。

ゼームスは住民の不便を少しでも和らげようと、私財を投じて緩やかな坂に改修しました。

この坂はいつとはなしに、親しみと感謝を込め「ゼームス坂」と呼ばれるようになりました。

また、ゼームスは近所の子どもたちを、たいへん可愛がり、度々お小遣いもあげていたというエピソードが残されています。

 

ゼームスの墓所 

明治41年(1908年)1月8日、ゼームスは71歳で入院先の横浜の病院で亡くなりました。

「遺骨は身延に」と彼 の遺言により、日蓮宗総本山身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)に葬られました。

親友の関義臣が墓を建立しました。

その後、ゼームス邸は、昭和2年(1927年)に 三越の所有となり三越縫製工場が建てられていましたが、現在、三越ゼームス坂マンションになっています。

 

 

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ゼームス坂周辺の街並み

 次回のお知らせ 

次回は、品川人物伝 第18回 津田梅子 をお送りします。

 

 

 

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