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東海道品川宿のはなし 第15回

更新日:2012年8月7日

品川宿211
『東海道往来』

寺子屋とは江戸時代から明治初年にかけて存在した庶民の初等教育を行った家塾を言います。

寺子屋という名称の発生は上方で、江戸では手習師匠と呼び、標札には手跡指南・何何堂と書き、何々先生門人某と名前を記入して掲げました。

手習師匠には浪人・僧侶・神官・町人などの学識者があたり、女性の場合もありました。

 

品川宿における寺子屋の普及は幕末のころでした。

この頃、宿内にあった寺子屋の数は8,9軒でした。なかでも生徒数の多かったのが、北品川宿では松川堂・玉泉堂、南品川宿では寿泉堂・成隣堂でした。

 

品川宿以外の周辺の村々でも、上大崎村の徳蔵寺、下大崎村の本立寺、桐ヶ谷村の竜昇堂、中延村の法蓮寺などで家塾が開かれていました。

 

品川宿における寺子屋関係の資料は乏しいのですが、寺子屋で教えるものは、習字が主で、算術・読書(これはいわゆる素読です)・礼儀作法、それに裁縫なども教えるところもありました。

 

品川宿212
『寺子屋で使われていた文机』

授業時間は5ッ時(午前8時頃)から8ッ時(午後2時頃)までで、習字の教え方は生徒を5,6名ずつ師匠の前に出して文字の書き方、読み方を教えていきました。

毎月末には小浚いがあり習い終った手本を復習させ、毎年末には大浚いといって1年間習った手本を暗記したものを発表させたのです。

就学の年齢は6,7歳から13,4歳までが普通で、在学年限も4,5年位でした。

休日は毎月朔日・15日、25日と、年末年始・お盆休みがあり、その他に2月の初午や五節句、それに鎮守のお祭りにも数日の休みがありました。

庶民の初等教育を担った品川区域内の寺子屋は、明治5年(1872)の学制の制定によって公立学校ができたため、荻野学校(旧・松川堂)と神戸学校(旧・寿泉堂)の2校をのぞいて明治十年代にはほとんど消滅しています。

この2校も明治30年代には生徒の急増から私立の代用小学校治44年に廃校、荻野小学校は小学校を閉鎖し幼稚園となりました。

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