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東海道品川宿のはなし 第16回

更新日:2012年8月7日

昔から火事は江戸の華といわれていますが、品川宿内でも火事の記録が数多く残されています。

なかでも文政4年(1821)の北品川宿が火元の火事は、大井村に至る1387軒が類焼するという大火となり有名です。

嘉永5年(1852)には、北品川宿の旅籠屋から出火して南北品川宿・歩行新宿・二日五日村の678軒が全焼し、宿の機能の大半を失ったりしたことなどもありました。

また、江戸に隣接していため、江戸市中で発生した火災により延焼したり、飛び火などで焼けたりもしました。

明暦3年(1657)の江戸最大の火事[明暦の大火]も品川宿まで延焼しており、延享2年(1745)の青山六道辻から発生した[六道火事]では宿の半分を焼失しています。  

 

品川宿には江戸府内のように火消組のような消防組織はありませんでした。

歩行新宿・北品川宿・南品川宿の三宿に、各三人ずつの鳶人足を雇っておくほか、自身番に組頭・家主などが交代で詰めて火の元の取り締まりを行っていました。

もし火災が起こったときには、宿内の15歳以上60歳以下の人たちが全員駆けつけて消火にあたることになっていたのです。

自身番は品川三宿と猟師町で四辻に15ヶ所ほどありました。

自身番に備え付けてある消防用具は、纏1本、梯子1挺、竜吐水(木製のポンプ)1柄、玄蕃桶(消火用の大桶)2つ、鳶口10本、纏提灯2張、鉄棒2本、割竹3本だけで、いかにも非力でした。

 

 

江戸の火消組は江戸府内が活動範囲であったため、府外である品川宿の中で起こった火事には、手助けに来てはくれませんでした。

このため宿内の人が自分たちで消さなくてはならず、数少ない消防器具も一因となって大きな火事になったようです。

 

このほか火災の延焼や御用物の避難場所のための空地として[火除地]も設けられました。

しかし街道に面していたため、もったいないので水茶屋などの商売に利用したいと借地を願い出る者が現れて、近隣の人たちとしばしばトラブルとなっていたようです。

 

代官所は、21項目におよぶ懇切丁寧な火の用心の注意を記した天保2年(1832)2月の触書など、たびたびの触書を出して人々に注意を促し防火に努めていましたが、品川宿は数多くの火事に見舞われ続けたのです。

 

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