東海道品川宿のはなし 第31回

更新日:平成20年12月15日

江戸時代の花見といえば品川御殿山が江戸庶民に良く知られ、江戸とその周辺の名所を絵入りで紹介した『江戸名所図会 (えどめいしょずえ)』にも大きく紹介されています。

御殿山のほかにも品川宿周辺には桜の名所や有名な桜がたくさんありました。

なかでも大井村には、江戸前期から有名な桜が多く、江戸時代の名所案内『江戸名所花暦』でも紹介されていました。

また、大井村には文化人が多く、とりわけ俳人で名主でもあった大野景山(俳号を杜格斎 (とかくさい)景山)は、自ら版元となり、大井村を中心とした花見の見所・見頃案内マップ、木版墨摺りの「南浦 (なんぽ)桜案内」を出版しています。

 

その案内場所は、品川御殿山にはじまり、東海寺・海晏寺から大井村の泊船寺境内・大井台・来福寺・西光寺・光福寺・常林寺境内・大井桜園などを経て不入斗 (いりやまず)村(大田区大森北3丁目)の鈴ヶ森八幡宮(今の磐井神社)に至るもので、東海道や池上道に近い桜の名所を10箇所上段に示し、下段にはその位置を示す絵図が描かれ、大野景山や大田南畝 (なんぽ)(蜀山人)らの俳諧や和歌も添えられていました。

 

「桜案内」にある大井桜園は大野景山の屋敷内にあったもので、説明文には「詩歌、連俳勧進奉る事年久し、門内へ入人其心得あるへし」とあり、邸内での観桜会では詩・和歌・連歌・俳諧をおこなうことを示しています。

この桜園には台命桜 (たいめいざくら)・大井桜などと名付けられた名木があり、蜀山人の和歌「台命の 桜ときけば 忘れても おることなかれ きくことなかれ」が付記されています。

 

この案内に「常林寺」とあるのは、今の大井六丁目来迎院のことで、ここには「要桜」という名木がありました。

この項には景山の句「爐 (ろ)の友に めくり逢いたる さくらかな」が記されており、隣接地の鹿島神社境内には、この句碑が残っています。

大井六丁目、光福寺の桜も紹介され、大井の井戸の由来も記されていました。他の史料によると、蘭闍待 (らんじゃたい)と名づけられた桜の名木があったといい、歌にも詠まれています。

 

大井4丁目、西光寺の項には、「児桜 (ちござくら)」があり、立春より70日目が見頃と記されていました。

ここには、今も何代目かの児桜が山門を入った左手にあります。

西光寺にはこのほかに醍醐桜などの名木があって、花見時には多くの人が集まったといいます。

東大井3丁目の来福寺では延命桜が特記されていて、ここには、「廿八品の桜、浅黄桜も此内也」と記されています。

ここには塩竃 (しおがま)・薄雲・有明・楊貴妃・普賢像 (ふげんぞう)などといった数十種の桜の木があり、その総数は数百本に及んだといわれています。

境内には俳人・雪中庵蓼太 (せっちゅうあんりょうた)の「世の中ハ 三日見ぬ間に 桜かな」の句を刻んだ碑があります。

大井台は、権現台・鎧ヶ淵と呼ばれる高台の一帯、今のJR大井工場付近で、立会川筋に桜が多いと記されていました。

このように大井村には、江戸市民や近郊の人びとが花見に訪れる場所がたくさんあり、多くの人で賑わったのです。

 

このほか、品川区指定の天然記念物のなかで、桜の木が1本指定されています。

上大崎の清岸寺にある樹齢200年から250年といわれる「祐天上人お手植えと伝えるサクラ」で、今もたくさん花をつけています。

 

品川宿37
・『南浦桜案内』(『大井町誌』より)
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