品川人物伝 第26回

更新日:平成24年4月11日

江戸時代の天文学者 渋川春海(しぶかわはるみ)

品川歴史散歩案内 品川人物伝 第26回 9月1日~9月30日


江戸時代の天文学者 渋川春海(しぶかわはるみ)


品川人物伝 第26回は、品川区北品川の墓地に眠る渋川春海を紹介します。

幼少期


春海は、寛永16年(1639)の初代安井算哲(やすいさんてつ)の長男として京都に生まれ、幼名を六蔵(ろくぞう)といいました。


父親は囲碁の棋士として幕府に仕え、安井家は幕府の碁所(ごどころ)に選ばれる資格を持つ4家の1つであったことから、御城碁(おしろご)に参加していました。


御城碁とは、江戸時代に徳川将軍の前で囲碁の家元達によって行われた対局のことで、初代将軍家康にもまして碁を好んだといわれる2代秀忠(ひでただ)の時に、中村道碩(なかむらどうせき)と父の安井算哲が行った対局が、その始まりといわれています。


その父を13歳で亡くし、2代目として算哲の名を継ぎました。

後に、祖先が河内国(かわちのくに)渋川郡(しぶかわぐん)を領していたことから、家名を渋川と改め、渋川春海になりました。

 

棋士から天文学の世界へ

春海も父と同じように棋士となり、21歳の時に初めて御城碁に出ています。

その腕前はなかなかのものでした。

また、春海は幼少から算術にも長けており、数学を学んでいましたが、暦学や天文学には特に強い関心を持つようになりました。

和算家の池田昌意(まさおき)や医者の岡野井玄貞(おかのいげんてい)から教えを受け、天文学の世界へと踏み込んでいったのです。

そして、春海は天体位置観測をするための渾天儀(こんてんぎ)を作り、何年にもわたって、太陽や月、星の観測や測定を行っています。

 

貞享暦の採用

その熱心な探究心が、新しい暦の完成へと導きました。

それまで約800年間使われていた暦は、中国の唐の時代に作られた宣明暦で、春海の時代には不備が目立つようになっていました。

春海は元の時代に作られた誤差の少ない授時暦(じゅじれき)の研究を深め、この暦に改訂を加えた新暦を作り上げ、幕府に改暦を提案しました。

この提案は、なかなか採用されませんでしたが、時間はかかったものの、新しい暦として採用されることになります。

貞享(じょうきょう)元年(1684)のことでした。

これが貞享暦と呼ばれるもので、その後70年間使用されました。

宣明暦から貞享暦に変わるという大きな改革が春海の手によって、成し遂げられたわけです。

その功績の結果、春海は幕府の初代天文方(てんもんがた)に任じられています。

天文方とは、天体や暦を研究する役職のことで、当初、寺社奉行に属しましたが、後に若年寄の支配となっています。

正徳(しょうとく)5年(1715)、我が国の天文学に大きな足跡を遺した春海は、江戸で生涯を閉じました。

墓所は品川区北品川にある東海寺大山墓地内にあり、昭和53年に品川区指定の史跡になりました。

春海が作った地球儀や天球儀は、現在、伊勢神宮内にある徴古館(ちょうこかん)に納められており、国の重要文化財になっています。

 

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渋川春海墓(東海寺大山墓地内) 

 

 

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