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モース博士が発掘した大森貝塚は品川歴史館から徒歩5分の場所にあります。同地には大森貝塚遺跡庭園(品川区大井6-21-6)が作られています。 品川歴史館と一緒にぜひお立ち寄りください。 こども向けの解説はこちらです。 |
| モース博士 |
| 「日本考古学発祥の地」大森貝塚を発掘したエドワード・シルベスター・モース(Edward
Sylverster Morse 1838〜1925)は、アメリカ人の動物学者です。腕足類(わんそくるい)という生物の研究のため1877年(明治10)来日し、大森貝塚を発掘しました。この発掘は日本で初めての学問的な遺跡の発掘でした。 博士の滞日期間は通算でも2年半に過ぎませんでしたが、終生日本を愛しつづけました。帰国後も講演などでアメリカ人の日本理解に努めました。日本滞在中のメモをまとめた『日本 その日その日』は愛情と尊敬を込めた視線で明治初期の日本人の生活をつづりました。また、陶磁器から日用品まで多くの生活道具を収集し、それらは現在貴重な美術・民俗資料となっています。 また、フェノロサやビゲローなどの来日にも関わり、日本美術の保護・発達にも寄与しました。 |
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| 大森貝塚遺跡庭園のモース博士像 |
| モースの発掘 |
| モースが来日して初めて上京した1877年(明治10)6月19日、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝塚を発見しました。これが大森貝塚です。 モースは、生物学を教えることになった東京大学の教え子たちと同年9月頃から同貝塚を発掘しました。さらに1879年(明治12)には日本初の発掘報告書である“Shell Mounds of Omori”を出版しました。博士の大森貝塚の発掘は日本初の学術的発掘であり、調査報告書の発行も初めてのことでした。このことから大森貝塚は「日本考古学発祥の地」と呼ばれています。 モースたちの発掘した大森貝塚の出土品は国の重要文化財に指定され、現在東京大学に保管されています。品川歴史館では、その中で代表的な資料9点のレプリカを展示しています。 |
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| 大森貝塚発掘風景(1877年) (“Shell Mounds of Omori”)より |
| その後の大森貝塚 |
| モースは“Shell Mounds of Omori”に貝塚の住所や地図を載せませんでした。そのためいつの間にか大森貝塚の位置は分からなくなってしまいました。 特に、1929年(昭和4)に今の大森貝塚遺跡庭園(品川区大井6丁目)に「大森貝塚碑」が、翌年いまの大田区山王1丁目に「大森貝墟碑」が建てられ、貝塚の位置をめぐる「混乱」はさらに大きくなります。1955年、両方の碑は、「国指定史跡 大森貝塚」として国の史跡に指定されました。 モースたちの発掘から100年目の1977年(昭和52)、大森貝塚発掘時の「発掘補償金」に関する文書が、東京都公文書館で発見されました。そこに記された発掘地の住所「大井鹿島谷二千九百六十番地」は、現在の大森貝塚遺跡庭園の位置にあたり、これにより「モースの大森貝塚」の位置が明らかになりました。 |
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大森貝塚碑 |
| 近年の発掘 |
| 公文書から「モースの大森貝塚」の場所と判明した大森貝塚遺跡庭園付近は、1984年(昭和59)以降、数回発掘されています。 その発掘で、考古学的にもモースたちの発掘したのがその場所であることが明らかになりました。 さらに、これらの発掘で、住居址や土器・装身具・魚や動物の骨などが大量に見つかりました。これらの資料のいくつかは、品川歴史館に展示しています。 |
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| 土製耳飾り (1986年-昭和61-発掘)直径3.8cm |
ニホンジカの角製釣針 (1993年-平成5-発掘)軸長118.6o |
| 大森貝塚遺跡庭園 |
| 品川区は大森貝塚碑付近の土地に大森貝塚遺跡庭園を建設しました。庭園内には貝層の剥離標本をはじめ、学習広場・体験広場があり、縄文時代・大森貝塚について学習できるようになっています。 ■開園時間 7月・8月 午前9時〜午後6時 11月〜2月 午前9時〜午後4時 その他の期間 午前9時〜午後5時 ■住所 品川区大井6-21-6 ■交通 JR・東急大井町駅から東急バス「池上」「蒲田」行きで「大森操作場下車、JR大森駅山王北口から徒歩5分 ■地図 館周辺地図 |
| 右のMapFanWebのアイコンをクリックすると大森貝塚遺跡庭園大森貝塚遺跡庭園付近品川区大井6-21-6の地図にリンクします。 |
| 大森貝塚遺跡庭園正面 | ![]() |
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大森貝塚遺跡庭園正面でおこなわれた館主催親子歴史講座での縄文土器の野焼き風景 |