2026年5月1日号 広報しながわ
 【品川区制80周年記念】品川80年の足跡をたどる vol.2

品川区都市ブランドデザイン

来年、区制80周年を迎えるにあたり、時代とともに品川区の歴史を振り返ります。

vol.2「戦後の品川」(1947~1956年頃)

 終戦と連合国軍の占領により、社会全体が大きく変わりました。戦後の約10年間の品川区を見ていきましょう。

焼け跡からの戦後教育の始まり

 品川区域の多くの国民学校(現在の小学校)が戦争により焼失。戦後の学校教育は焼け跡から始まり、焼け残った学校に数校が「間借り」しての二部授業や焼け跡で青空教室を行うなど、学ぶ場所の確保に苦労しました。

 昭和22(1947)年には教育基本法の施行などにより、国民学校が廃止され、6年制の小学校と3年制の中学校が設置されることとなりました。また、小・中学校の設置と管理は特別区の仕事とされました。

 品川区では10校の中学校を新設。限られた期間で用地取得から始めて学校をつくるという仕事は、区に大きな負担となりましたが、保護者により組織された父兄後援会が物心両面から学校建設を支えました。

 子どもたちの教育の場は、こうした地域の人たちの力添えもあり、つくられていったのです。

昭和20年の青空教室で授業を受ける写真
疎開先から戻ってきた立会国民学校の児童約300人が青空教室で授業を受ける(昭和20年) 提供:朝日新聞社

工場のまち、しながわの復活

 品川区の主力産業は製造業。終戦後の物資不足やさまざまな統制などにより、多くの工場が厳しい経営を余儀なくされました。その中で、復興をリードしたのが電球産業でした。

 主にアメリカに輸出されていたクリスマスツリー用の電球は、多くが品川区域の家内工場で作られていました。空襲で多くの工場が被害にあいましたが、昭和21年に輸出が再開されると、翌年には約400万個、翌々年には約6,000万個が輸出され、そのほとんどが品川区で製造されたものでした。

 昭和28年4月には6日にわたり、日本橋高島屋で品川区工業振興大展示会が開催されました。区内86事業者が出品し、自動車・精密機械・医療機械・光学機器・ラジオなどを展示。都心のデパートでの工業製品展示会は23区で初めての試みであり、「工場のまち、しながわ」の復活を象徴するものでした。

昭和28年の日本橋高島屋写真
品川区工業振興大展示会日本橋高島屋(昭和28年)

文化活動の拠点づくり

 「古本屋で英書二冊許(ばか)り買って帰る」

 これは、当時の人が昭和20年に記した日記の一文です。戦後あらゆるものが不足している中でも、人々の読書欲や探究心が衰えることはありませんでした。こうした気持ちに応えたのが品川図書館です。品川図書館は六行会が大正12(1923)年に創設した荏川町文庫を母体として、昭和25年に品川区立品川図書館となり、品川区の社会教育の中心的役割を果たしました。

 もう一つの文化活動の拠点が昭和31(1956)年に復興のシンボルとして竣工された品川公会堂です。区の主要な催し物会場として使われ、その役割は現在のきゅりあんに引き継がれています。

昭和31年の品川公会堂のこけら落し写真
品川公会堂の杮落し(昭和31年)


次回予告
「40万人の住むまちへ」(1957~1964年頃)

この連載は平成26(2014)年に発行した「品川区史2014」から内容を構成しています。

「品川区史2014」は販売や図書館での貸し出しも行っています。ぜひご利用ください。

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