2026年6月1日号 広報しながわ
 【品川区制80周年記念】品川80年の足跡をたどる vol.3

品川区制80周年を記念したロゴが完成しました

品川区制80周年を記念したロゴマーク

来年、区制80周年を迎えるにあたり、時代とともに品川区の歴史を振り返ります。

vol.3「40万人の住むまちへ」(1957~1964年頃)

 昭和31(1956)年の開都五百年記念大東京祭、昭和39年の東京オリンピック。この2つの祭典は、日本が戦災から復興し、経済の発展を世界にアピールする場となりました。高度経済成長の波の中で、産業やインフラなどのあらゆる面で大きく変化した品川区を見ていきましょう。

日本の経済成長を支えた工場のまち、しながわ

 「もはや戦後ではない」。昭和31年の経済白書は、日本が高度経済成長期へ突入したことを高らかに宣言しました。この経済成長を力強く支えたのが、東京・川崎・横浜に広がる京浜工業地帯であり、その中核にあったのが品川区です。品川は古くから交通の要衝として発展してきた地域であり、戦後はその地理的条件を背景に、工業地帯として急速に再編・拡大していきました。また、古くからの工業地帯である五反田から南品川4丁目にかけての目黒川沿い一帯などに大きな工場が集まっていた一方、住宅の多い平塚2丁目に大きなゴム製品加工工場があるなど、住宅地に大工場がある例が区内のあちこちで見られました。中規模以下の工場は区内のほとんどの地域に点在し、区内全体が住工混在のまちだったのです。

急速な人口増加とインフラの整備

 工業の発展に伴い、地方から多くの労働者が流入し、昭和35年に区の人口は40万人を突破。これに対応するため住宅地の整備が進み、公共交通機関や道路などのインフラも急速に発展しました。鉄道網の充実は都心との結びつきを強め、品川は工業だけでなく、商業や居住の面でも重要な都市機能を持つ地域へと変化していったのです。

 さらに、昭和39年の東京オリンピックは首都にふさわしい都市インフラを整備する好機となり、品川区には首都高速1号、東京モノレール、東海道新幹線が建設されました。いずれも区を南北に走り、品川区が東京の南の玄関であることを物語っています。

工事中の首都高速1号 昭和38年写真
工事中の首都高速1号(昭和38年)

ベビーブーム世代の成長と教育環境の整備

 昭和22(1947)年~24年生まれの子どもたち、いわゆる第1次ベビーブーム世代。その人数の多さははっきりと表れ、昭和22年度生まれの人たちが小学校に入学した昭和29年度、区立小学校の1年生は9,049人で、2年生の6,396人を大きく上回ります。終戦後から二部授業も解消されない中での児童数の増加により、校舎増築がより重要な区の政策課題となりました。

 昭和28年度、教育費は区の予算の55.4%を占め、その中で校舎建設関係予算は48.3%でした。予算総額の約4分の1が小中学校の校舎建設に充てられたことになります。この年度、増築88教室、改築85教室と合計173教室が整備され、うち147教室が小学校でした。その後も整備が続き、昭和32年の台場小学校開校の頃に二部授業は解消されました。

下校する新設の台場小学校の児童 昭和32年写真
下校する新設の台場小学校の児童(昭和32年)


次回予告
「区の役割の増大と総合庁舎の建設」(1965~1972年頃)

この連載は2014年に発行した「品川区史2014」から内容を構成しています。

「品川区史2014」は販売や図書館での貸し出しも行っています。ぜひご利用ください。

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