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品川の大名屋敷 第6回

更新日:2012年7月27日

前回は、3万7,600坪余の広大な規模であった岡山藩池田家大崎下屋敷の形成経過をお話しました。

今回は、大崎屋敷の景観と屋敷内の御菜園 (おさいえん)や林からの産物についてお話しましょう。 

この大崎屋敷の景観を見てみますと、敷地東側に中原往還(今の桜田通り)から入る表門、南に裏門、北に目黒門があり、敷地の中央には、隠居した藩主が暮らす建物や書院がありました。

敷地の南側は谷が入り込み、谷の奥には大きな池があり、その池を中心にして庭園がつくられ、高台には茶室を配していました。

比較的低いところには家臣の長屋などが建っており、屋敷の周辺部は主に林や御菜園と称した畑で囲まれていました。

敷地内で一番高いところにあたる南端の高台には「山ノ御茶屋」 (やまのおちゃや)があり、ここは眼下に目黒川を望む絶好の景勝地でした。そのため藩主一族や客人をもてなすために頻繁に利用されていました。

なかには、この山の御茶屋から田植え見物が催されたという記録が残っています。

文化2年(1805)5月に、大崎屋敷に隠居していた7代藩主池田治政 (はるまさ)夫妻と兼姫 (かねひめ)(岡山新田 (しんでん)藩主 池田政養 (まさよし)の妻)の親子3人は、地元百姓の大崎村の勘九郎・清九郎ら40人余りによる田植えを初めて目の当たりにして、その大変な作業に感心し、雇われたものたちへ、褒美として酒肴 (しゅこう)代を下されたとあります。

一連の記録から、この田植え見物は治政の意向をくんで事前に準備されたもので、その手配をしたのは大崎屋敷出入りの地元の百姓でした。

さて、この大崎屋敷内の御菜園では、大根・人参・ほうれん草・里芋などの野菜や根菜類、麦・蕎麦といった穀類、桃や椿・菊などの花類などたくさんの種類の作物が栽培されていました。

季節に応じて野菜や穀類・花類が、上屋敷や中屋敷に住む藩主や家族、家臣たちに届けられていたのです。

また、菜園で作られた菜種や飼葉 (かいば)などは入札によって商人に売却されていました。

また、この屋敷内の林からは、伐採された材木が他の江戸屋敷の修繕用として頻繁に提供されていました。

特に明和9年(1772)の大火で、大名小路(千代田区)上屋敷が焼失したときには、松や杉合わせて1,000本余りが提供されました。

さらに安政2年(1855)10月の大地震で上屋敷・中屋敷の家屋が全壊したときにも同様に松・杉・檜 (ひのき)1,000本余りと大量の木材が再建のために提供されています。

このように大崎屋敷では、様々な農作物をつくり、敷地内の林から木材を切り出し、藩邸での消費や地域への提供を行っていました。

次回は、品川の大名屋敷 第7回 岡山藩池田家「大崎屋敷の地域社会との」についてをお送りします。

 

品川大名屋敷6
・下屋敷の笋 (たけのこ)つみ。しながわの大名屋敷らしい風景です。
歌川豊国(初代)画部分
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