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江戸から明治の品川名所 第1回

更新日:2009年12月14日

江戸の地誌『江戸名所図会』と明治の『風俗画報』

品川歴史散歩案内 江戸から明治の品川名所 第1回 21.11.1~11.30

今回からの品川歴史散歩案内は、新しいシリーズ「江戸から明治の品川名所」になります。

第1回は、品川名所を記述した江戸時代の地誌『江戸名所図会』と明治時代の地誌『風俗画報』についてお話しましょう。

地誌とは?

地誌とは、地域の自然・地形・人口・交通・産業・歴史・文化などを記述して地域の特徴などを記述した書籍のことで、郷土誌も地誌にはいります。

江戸の地誌には、今回のお話の『江戸名所図会』のほか、寛文(かんぶん)2年(1662年)出版の『江戸名所記』や延宝(えんぽう)5年(1677年)の『江戸雀』、元禄(げんろく)3年(1690年)の『江戸惣鹿子名所大全(えどそうかのこめいしょたいぜん)』、寛政(かんせい)6年(1794年)の『四神地名録(ししんちめいろく)』のほか、幕府の関係機関が刊行した『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』や『御府内沿革図書(ごふないえんかくずしょ)』など、たくさんの地誌があります。

『江戸名所図会』について

そのなかでも『江戸名所図会』は、挿し絵(さしえ)が多く、江戸名所といいながら、御府内だけでなく、郊外にまで及んでいます。

江戸城から西は現在の多摩市から日野市、東は船橋市、北はさいたま市に至り、南は、品川区域からさらに多摩川をこえて横浜市さらに横須賀市にまで及んでいます。

『江戸名所図会』(木版(もくはん)摺(ず)り全7巻20冊)は、雉子町(きじちょう)(現、千代田区神田小川町)の町名主(ちょうなぬし)、斎藤幸雄(長秋)が企画したものです。

江戸の府内や近郊の名所などを調査して草稿(そうこう)を作成し、寛政11年(1799年)には幕府の出版許可を受けたのですが、この年の10月、完成を見ずに亡くなってしまいました。

跡を継いだ斎藤幸孝(県麿(あがたまろ))は、名所の再調査や新たな調査を実施して、執筆に入り、文化年間の末には、ほぼ完成したのですが、またしても出版を見ずに急逝してしまいました。

そして文化15年(1818年)に、若くして家督を継いだ斎藤幸成(月岑(げっしん))は、祖父と父の偉業を世に出すために苦労し、編集校訂(こうてい)ののち、ようやく天保(てんぽう)5 年(1834年)に1巻から3巻までの10冊を出版するに至ったのです。

残り4巻から7巻の10冊は、天保7年(1836年)に刊行され、『江戸名所図会』は、3代、30年余りを費やして完成させたものです。

そのなかの挿し絵は、長谷川雪旦(せったん)が描き、『江戸名所図会』のすばらしさはこの挿し絵によるところが大きいともいわれています。

江戸名所図会 

 

『江戸名所図会』

グラフ誌のさきがけ『風俗画報』

『風俗画報』は、明治から大正期の風俗雑誌で、現在のグラフ誌のさきがけといわれています。

発行された号数は増刊を含むと517冊になります。なかでも明治29年(1896年)から明治44年(1911年)にかけて発行された「大日本名所図会」シリーズの「新撰(しんせん)東京名所図会」64冊、「東京近郊名所図会」17冊は、明治の東京および近郊を詳述した名所案内記です。

取材は山下重民らで、挿し絵は山本松谷(しょうこく)(昇雲(しょううん))が担当しています。

名所などの写真が掲載されているのが特徴です。品川区域が掲載されているのは、「東京近郊名所図会」で、明治43年11月から翌年にかけて出版された南郊(なんこう)の部に掲載されています。

風俗画報1 

風俗画報2 

『風俗画報』

次回のお知らせ

江戸から明治の品川名所 第2回「高輪から北品川宿の名所」をお送りします。

 

 

 

 

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