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江戸から明治の品川名所 第3回

更新日:2013年11月12日

北品川宿の寺社

品川歴史散歩案内 江戸から明治の品川名所 第3回 22.1.1~1.31

江戸後期の地誌『江戸名所図会』は、斎藤幸雄(ゆきお)・幸孝(ゆきたか)・月岑(げっしん)の三代にわたって完成させたものですが、各寺院や神社において、寺宝(じほう)の書や石碑なども丹念に調査をしています。

今回は北品川宿の寺院や神社で、今も残る貴重な書蹟(しょせき)や石碑についてのお話をしていきましょう。

東海寺

『江戸名所図会』に北品川宿の名所として大きくとりあげられているのは、東海寺周辺です。

挿し絵も6ページにわたる鳥瞰図(ちょうかんず)で、御殿山から牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)(現在の品川神社)、清徳寺(せいとくじ)と東海寺の本堂や山門、目黒川両岸の塔頭(たっちゅう)寺院をも描いた境内パノラマ絵図です。

東海寺は、寛永(かんえい)15年(1638年)に三代将軍徳川家光の命によって、沢庵和尚を開山として建てた寺院です。

東海寺は品川海晏寺(かいあんじ)とともに紅葉の名所として江戸庶民に知られていました。

牛頭天王社 

東海禅寺(部分)

『新訂 江戸名所図会』より

 

開山沢庵和尚影像一幅

『江戸名所図会』には東海寺境内や沢庵和尚の功績や著書などについて詳しく書かれています。

その中に、沢庵和尚の書いた「開山沢庵和尚影像一幅(いっぷく)」についての解説があります。

この書は、沢庵和尚が73歳のとき画工(がこう)に命じて「一円相(いちえんそう)」を作らせ、自ら一点をその円のなかに書き、一円相の観照文(かんしょうぶん)ともいえる賛を円の上に書して寿容(じゅよう)(肖像)としたものです。

2つつくり、1つは東海寺に、もう1つは泉南(せんなん)の南宗精舎(なんしゅうしょうじゃ)(大阪府堺市の南宗寺(なんしゅうじ))に残したとあります。

『江戸名所図会』では、さらに賛の解説が続きます。

この書は正保2年(1645年)閏(うるう)5月7日に書かれたもので、沢庵最晩年の書で、東京都の文化財に指定されています。

品川神社

牛頭天王社とあるのは、今の品川神社のことで、東海寺の開創にともなって境内地が鬼門(きもん)(北東方向)にあたることから明治維新まで東海寺の鎮守となっていました。

品川神社は、古くは品川大明神といわれ、江戸時代には北品川稲荷社と呼ばれていました。

牛頭天王を勧請(かんじょう)したのは、室町時代と考えられています。

柿本神詠の碑

この境内に柿本神詠(しんえい)の碑があると記載があります。

この碑は、延享(えんきょう)2年(1745年)3月に建立された人丸(ひとまろ)大明神碑のことで、万葉歌人・柿本人麻呂を祀る碑で、柿本人麻呂の作と伝えられる和歌「ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島隠れゆく 舟をしそおもふ(しぞおもう)」が刻まれています。

『古今和歌集』巻九に入っています。

この碑は現在も品川神社境内の「品川富士」七合目付近にあります。

「品川富士」は明治2年(1869年)に富士山信仰の品川丸嘉講中(まるかこうじゅう)によって築造された人造富士です。

『風俗画報』の記事にも品川神社は、明治時代に入っても伊藤博文公の書いた荏原郡長・林交周(はやしともちか)の碑など著名人の記念碑の建立があったことを記しています。

次回のお知らせ

南品川猟師町周辺の名所をお送りします。

 

 

 

 

 

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