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江戸から明治の品川名所 第4回

更新日:2013年11月12日

南品川猟師町周辺の名所

品川歴史散歩案内 江戸から明治の品川名所 第4回 22.2.1~2.28

南品川猟師町(りょうしまち)周辺の名所

南品川猟師町と利田新地

南品川猟師町は、洲崎(すさき)(冽崎)とも呼ばれ、現在の東品川1丁目の一部で、目黒川河口の砂洲(さす)(寄洲(よりす))にできた町です。

この町の誕生は江戸時代の明暦(めいれき)の頃(1655年頃)で、その昔は兜島(かぶとじま)と呼ばれ、人家は無かったといいます。

漁業を生業として、幕府に対して魚介類を納める御菜肴八ヶ浦(おさいさかなはちかうら)のひとつでした。

また、猟師町の地先は、江戸時代中頃から埋立が行われ、新しく開かれた土地ということで「南品川新開場(しんかいば)」といい、この開墾に着手した南品川宿の名主利田吉左衛門(かがたきちざえもん)の姓をとって「利田新地(かがたしんち)」と呼ばれていました。

幕末、この地の東側に「御殿山下砲台」が築造されました。

現在の台場小学校周辺です。

『江戸名所図会』には、南品川猟師町と利田新地の名所として、洲崎弁天と寄木(よりき)明神社の2ヵ所が挿し絵とともに紹介されています。

洲崎弁天

洲崎弁天は、現在の利田神社で、弁財天を祀っています。

「洲崎弁天」の挿し絵には、鯨塚も描かれています。この鯨塚の由来は、寛政(かんせい)十年(1798年)5月に、品川沖に大鯨が迷い込み、地元の漁師によって浅瀬に追い込み捕らえたのです。

捕獲された鯨は評判となり、浜御殿で11代将軍徳川家斉(いえなり)が上覧するほどでした。

その後、この鯨の骨を埋めて塚の上に碑を建てたのです。これが今も利田神社脇にある鯨塚(鯨碑)で、品川区の文化財に指定されています。

明治後期の『風俗画報』では、利田新地の様子を「人家が連なっていて、北には中央気象台の出張所などもあるが、広っぱは網干場でうまり、東側の海岸は夏になると海水浴場が開かれたところ」と書いています。

寄木明神社

南品川猟師町のもうひとつの名所「寄木明神社」現在の寄木神社で日本武尊(やまとたけるのみこと)と弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)が祀られています。

挿し絵では、海岸に漁師の舟のほか、魚を取る網や海苔養殖に使う「粗朶(そだ)ひび」という木の枝も描かれ、漁師町の様子がわかります。

『江戸名所図会』には、この寄木明神社の由来について、土地の人たちが弟橘姫の霊を祀るために社を建て、寄木明神としたとあります。

この弟橘姫の伝説は、日本武尊が東征(とうせい)の途中、海上が荒れて船が転覆しそうになり、海を鎮めるために妃の弟橘姫が海神に祈願して入水したという、その時の船の残り木が流れ着いたので祀った、または弟橘姫の御衣(ぎょい)が流れ着いたので祀ったといった伝承です。

このほかに、源義家(よしいえ)が奥州出兵のときに、この寄木明神に立ち寄り、戦勝祈願をしたといいます。

奥州平定後(へいていご)の帰路に再び立ち寄り、兜をこの社に納めたので、この地を兜島と名付けたなど、この地の伝承を紹介しています。

 

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寄木明神社

『江戸名所図会』より

 

 

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