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江戸から明治の品川名所 第5回

更新日:2013年11月12日

南品川宿の名所(一)

品川歴史散歩案内 江戸から明治の品川名所 第5回 22.3.1~3.31

南品川宿の名所(一)

品川橋

北品川宿を南へ進むと目黒川に架かる橋、現在の品川橋を、江戸時代には「中の橋」「行逢(ゆきあい)橋」と呼んでいました。

また、北品川宿と南品川宿の境の橋ということで「境橋」ともいいました。

この橋の北品川宿西際には高札場(こうさつば)がありました。

高札場とは、幕府や領主が決めた法度や掟書などを木製の板に書き、人目を引くように高く掲げておく場所のことです。

貴船明神社

橋を渡ると南品川宿です。

『江戸名所図会』で南品川宿の最初に出てくる挿絵は、貴船明神社(きふねみょうじんしゃ)(貴布祢社(きふねしゃ))で、現在の荏原神社です。

挿絵では目黒川の南側に描かれていますが、現在は目黒川の北側にあります。

これは蛇行していた川筋を大正から昭和初期にかけて川の改修工事によって、流れを変えたためです。

『江戸名所図会』の説明では、「貴船明神社は、神明(しんめい)と牛頭天王(ごずてんのう)をあわせて祀り、南品川の産土神(うぶすな)(鎮守)なり。毎年六月七日は祭礼で、その前日、神輿を海中にかつぎ入れ、後に宿内にお仮屋(かりや)(御旅所(おたびしょ))を設けて神輿を駐め、宿内を巡幸した」と記されています。

さらに貴布祢の祭礼は九月九日で、神明は同じ月の十五日とあります。

江戸時代の天王祭は『品川町史』によると、祭礼はいつの頃からか6月7日から19日まで執行されるようになったと記されています。

現在は6月7日に近い土曜・日曜を含む3日間です。

 

貴船明神社 

貴船明神社

『江戸名所図会』より

 

 

海徳寺

貴船明神社のとなりに描かれているのが、海徳寺(かいとくじ)です。

名所図会では海徳寺の説明はありませんが、海徳寺は、大永(たいえい)2年(1522年)に鳥海和泉守(とりうみいずみのかみ)によって開かれたお寺で、その境内には淡島社も描かれています。

淡島社は、江戸時代、子授・安産・万病平癒に霊験があり、とくに女性を守護するといわれています。

海徳寺には、淡島尊天(あわしまそんてん)(粟嶋尊天)の護符など、御札を摺った板木が残されていて、品川区の文化財に指定されています。

南品川宿の寺院

次に大きく描かれているのが東海道の西にあたる「本光寺(ほんこうじ)・大竜寺(だいりゅうじ)・天竜寺(てんりゅうじ)・海竜寺(かいりゅうじ)」で、海竜寺は海蔵寺(かいぞうじ)のことです。

海蔵寺は品川宿の投げ込み寺といわれ、鈴ヶ森で処刑された罪人や、引き取り手のない死者を葬ったためです。

この挿絵の位置は、現在の南品川四丁目付近にあたり、かつて、このあたりは明治後期には字馬場町(あざばんばまち)と字東広町(ひがしひろまち)の一部で、俗に南馬場と呼ばれていたところで、寺院が集中しています。

この絵の手前(東海道寄り)には、妙蓮寺(みょうれんじ)・願行寺(がんぎょうじ)・本栄寺(ほんえいじ)・心海寺(しんかいじ)・本覚寺(ほんがくじ)があります。

品川宿の寺院は、東海寺など数ヵ寺をのぞいて江戸時代以前に建立されています。

その理由の一つに中世の品川湊の繁栄が関係していると考えられています。

次回のお知らせ 

引き続き「南品川宿の名所(二)」をお送りします。

 

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