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江戸から明治の品川名所 第6回

更新日:2013年11月12日

南品川宿の名所(二)

品川歴史散歩案内 江戸から明治の品川名所 第6回 22.4.1~4.30

南品川宿の名所(二)

天妙国寺

南馬場から東海道を南下しますと、常行寺(じょうぎょうじ)・長徳寺(ちょうとくじ)・天妙国寺(てんみょうこくじ)と寺院が続いています。

『江戸名所図会』に、天妙国寺は挿絵入りで紹介されています。

天妙国寺は、鎌倉時代の弘安(こうあん)8年(1285年)に中老僧(ちゅうろうそう)の天目上人(てんもくしょうにん)が開いた寺院です。

その後、各時代の有力者に保護され、広い寺域をもつようになりました。

室町時代の文安(ぶんあん)元年(1444年)、鈴木道胤(どういん)・光純(こうじゅん)(幸純)父子によって七堂伽藍の建立がはじまり、長禄(ちょうろく)3年(1459年)に落成したと記されています。

そのなかに五重塔がありましたが、江戸時代初期の慶長(けいちょう)19年(1614年)8月28日、大風によって倒壊してしまいました。

3代将軍徳川家光の命によって、五重塔ほか伽藍が再建されましたが、元禄15年(1702年)2月11日、四谷塩町(しおちょう)から出火の大火により五重塔などを焼失し、その後再建されませんでした。

この五重塔の礎石の一部が平成21年に発見され、同年11月に品川区の文化財に指定されました。

また、五重塔のほか境内を描いた「妙国寺絵図」や室町時代から江戸時代の古文書は東京都の指定文化財になっています。

品川寺

さらに南になりますが、『江戸名所図会』の挿絵は、品川寺(ほんせんじ)、海雲寺(かいうんじ)の千躰荒神堂(せんたいこうじんどう)、海晏寺(かいあんじ)、海晏寺紅葉見之図(みのず)と続きます。

品川寺の本尊は、秘仏「水月観音」とよばれ、弘法大師(空海)が東国巡行中にこの地の領主品河氏に与え、同氏滅亡後は草堂(そうどう)に安置されていたといわれています。

また、一説には太田道灌(どうかん)が信仰していた持仏を本尊としたとも伝えられています。

山門まえには宝永(ほうえい)5年(1708年)に地蔵坊正元(しょうげん)が浄財を集めて江戸の入口6ヵ所に造立した江戸六地蔵の一つが描かれています。

境内の鐘楼には、明暦(めいれき)3年(1657年)に鋳造された六観音像が浮き出されている梵鐘があります。

この梵鐘は、慶応3年(1867年)のパリ万国博覧会に出品され行方不明となっていましたが、その後、スイス・ジュネーヴのアリアナ美術館にあることがわかり、昭和5年(1930年)に返還されました。

このため「洋行帰りの鐘」と呼ばれようになったのです。

 

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品川寺

『江戸名所図会』より

 

 

海雲寺

品川寺に隣接する海雲寺には千躰荒神堂があります。

荒神様は火と水の神で、また台所(かまど)の守り神とされ、現在も毎年3月と11月の27・28日の千躰荒神祭には多くの参詣者で賑わっています。

明治時代の『風俗画報』に境内には「大日本帝国議会原始紀年」碑という巨大な石碑があると記してあり、議会開会にかかわるものですが由来は分かっていません。

 

千躰荒神堂 

 

千躰荒神堂

『江戸名所図会』より

 

 

海晏寺

海晏寺は、建長3年(1251年)に鎌倉幕府の執権・北条時頼(ときより)が建長寺を開いた渡来僧(とらいそう)・蘭溪道隆(らんけいどうりゅう)を開山として創建された寺院です。

江戸時代、紅葉の名所として知られる海晏寺は、絵師・歌川広重らによって描かれた浮世絵があります。

 

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海晏寺紅葉見之図

『江戸名所図会』より

 

 

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