江戸から明治の品川名所 第7回

更新日:平成22年3月29日

大井村の名所

品川歴史散歩案内 江戸から明治の品川名所 第7回 22.5.1~5.31

大井村の名所

江戸時代の東海道から大井村に入り、池上への道筋には桜の名所がたくさんありました。

『江戸名所図会』には、大井村の挿絵が3ヵ所描かれています。

現在の東大井3丁目にあります来福寺(らいふくじ)、大井4丁目の西光寺(さいこうじ)、大井6丁目の光福寺(こうふくじ)(名所図会には弘福寺)です。

来福寺

来福寺は、鎌倉時代の武将梶原景季(かじわらかげすえ)に縁があると伝えられ、一族の墓所と伝える「梶原塚」(現在の梶原稲荷神社)や「梶原松」といった名が残っています。

本尊は大井1丁目44番の経塚(現在の庚申堂)の土の中から読経が聞こえ掘り起こしたとされる延命地蔵で、別名経読地蔵(きょうよみじぞう)と呼ばれています。

また、江戸時代には桜の名所として知られ、本尊に因んだ「延命(えんめい)桜」が有名でした。

来福寺の挿絵には、桜の名所らしく、雪中庵蓼太(せっちゅうあんりょうた)の句「世の中は 三日みぬ間に さくら哉」が添えられています。

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来福寺

『江戸名所図会』より

 

西光寺

さらに南へ進みますと、西光寺があります。

創建は鎌倉時代の弘安(こうあん)9年(1286年)とされ、ここも桜の名所として知られ、立春から70日目ころより咲きはじめる花は単弁(ひとえ)の「醍醐(だいご)桜」や「児(ちご)桜」が挿絵にも描かれています。

光福寺

西光寺から300メートル南には光福寺があります。

挿絵には寺の全景のほかに「大井」という井戸が描かれています。

これは本堂裏の墓域のなかに「大井」と刻銘された横穴式の井戸があり、かたわらの石碑には「開基了海上人産湯井(かいきりょうかいしょうにんうぶゆのい)」と書かれています。

昔、この寺に身を寄せていた了海上人の父が子授けを祈願したところ男の子を授かりました。

そのとき寺の境内から忽然と泉が湧き出したので、この水で産湯をつかわせたと伝えています。

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大井

『江戸名所図会』より

 

常林寺

さらに光福寺から南に200メートルには鹿嶋大明神社(現在の鹿嶋神社)と別当の常林寺(じょうりんじ)があります。

鹿島神社は安和(あんな)2年(969年)に常陸国の鹿島の御神を勧請したと伝えています。

常林寺は、天保(てんぽう)4年(1833年)に現在の来迎院(らいごういん)と改称しました。

ここも江戸時代には桜の名所で、「鹿島の要(かなめ)桜」や「楊貴妃(ようきひ)桜」と名づけられた名木がありました。

鮫洲の川崎屋

このように今回の大井村の寺院や神社は、桜の名所の多いところでした。

明治後期の『風俗画報』東京近郊名所図会には、大井町(明治41年町制施行)の名所だけでなく、川崎屋という鮫洲の料理屋のことも書かれています。

この店は「あなご料理が有名で、皇后陛下の休憩の場所となったことや、伊藤博文や井上馨らもしばしば訪れ、杯を挙げたという」と記しています。

次回のお知らせ

戸越・中延の名所をお送りします。

 

 

 

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