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江戸から明治の品川名所 第8回

更新日:2013年11月12日

戸越・中延の名所

品川歴史散歩案内 江戸から明治の品川名所 第8回 22.6.1~6.30

戸越・中延の名所

今回お送りするのは現在の品川区域の中央部分にあたります江戸時代の戸越村と、その南側の中延村の名所を紹介しましょう。

『江戸名所図会』のなかで、戸越村の名所は、「戸越(とごえ)八幡」(現在の戸越八幡神社)と「八幡山行慶寺」で、両社寺を一緒に描いた挿絵を載せています。

 

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戸越八幡

行慶寺

『江戸名所図会』より

 

 

戸越八幡神社

戸越八幡神社は、戸越村の鎮守で、大永(たいえい)6年(1526年)の創建と伝えられています。

名所図会では天文(てんもん)年間(1532年~1555年)の鎮座と紹介され、「境内の小石を疱瘡(ほうそう)のお守りに霊験があるとして、地域の人たちはこれを拾って帰ると書かれています。

さらに、9月28日には奉納相撲が行われた」とあります。

現在の戸越八幡神社境内には、「戸越の地名の起こり」と題した記念碑があり、「江戸越へて清水の上の成就庵 ねがいの糸のとけぬ日はなし」という古歌を刻んでいます。

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現在の戸越八幡神社

 

 

行慶寺

となりの行慶寺は戸越八幡神社とともに、僧・行永(ぎょうえい)が結んだとされています成就庵がその起こりと言われています。

行永はこの近くの池のほとりに住み、旅人に泉の清水を施していたと伝えています。

行慶寺は文禄(ぶんろく)元年(1592年)に開かれた浄土宗の寺院で、念誉上人(ねんよしょうにん)が開山とあります。

行慶寺の本尊は貞享(じょうきょう)元年(1684年)に造られた木造阿弥陀如来坐像で品川区の文化財に指定されています。

中延村

次に中延村では「中延八幡宮」(現在の旗岡八幡神社)と「法蓮寺」が挿絵に描かれています。

2つの社寺のまえの道は、戸越村から続く池上道(いけがみみち)で「中通り」と呼ばれ、池上本門寺(いけがみほんもんじ)へいく主要な道のひとつでした。

法蓮寺近くには高札場も描かれています。

旗岡八幡神社

旗岡八幡神社は13世紀に、この付近の領主になった荏原左衛門尉義宗(えばらさえもんのじょうよしむね)が自らの館を寺とした法蓮寺の境内に、曽祖父といわれる源頼信(みなもとのよりのぶ)から受け継いだ八幡大神を祀り、この地域の鎮守としたのが始まりとされています。

江戸時代には源氏にゆかりのある神社として武家の信仰があつく、とりわけ弓術家の信仰は厚く、毎年2月15日には、各地から集まった武士たちによる弓の競射が行われていました。

旗岡八幡神社には「小笠原流」「日置流雪荷派(へきりゅうせっかは)」などと記された奉納額が遺されています。

法蓮寺

法蓮寺は文永(ぶんえい)年間(1264年~1275年)に、荏原左衛門尉義宗の末子であったという朗慶上人(ろうけいしょうにん)を開山に創建されたと伝えられています。

朗慶上人は、日蓮聖人(にちれんしょうにん)の直弟子日朗(にちろう)の弟子「九老僧(くろうそう)」の一人です。

平塚村

明治時代になって、戸越村・中延村ほか、上蛇窪村(かみへびくぼむら)・下蛇窪村(しもへびくぼむら)・小山村の5つの村が合併して平塚村になりました。

この地域のことについて『風俗画報』(東京近郊名所図会)には、5つの村名はそれぞれ、平塚村の大字名(おおあざめい)になったことや、中延八幡宮などそれぞれの寺院や神社の明治後期の現況などが記されています。

次回のお知らせ

上大崎村・下大崎村の名所をお送りします。

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