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江戸時代の道 第6回

更新日:2012年11月2日

池上道は、弘安 (こうあん)5年(1282年)に創建されたという大田区池上一丁目の本門寺へ向かう道です。

池上本門寺は、弘安5年に日蓮聖人が入滅 (にゅうめつ)(臨終)した地であることから江戸庶民の霊場信仰の対象となり、祥月命日 (しょうつきめいにち)の10月13日とその前夜は、お会式、古くは御影講 (おめいこう)・御命講 (おみょうこう)と称して、江戸市中および近郊の日蓮宗信者は集団で池上に参詣する習わしでした。

現在でも団扇太鼓 (うちわだいこ)に鉦 (かね)を手に、万灯 (まんどう)や講中の名を染め抜いた幟 (のぼり)をもち、集団で池上本門寺に参詣し、賑わいは昔とかわりません。

江戸時代後期に十方庵 (じっぽうあん)が著した紀行文「遊歴雑記 (ゆうれきざっき)」に、池上本門寺に参詣したのは、日蓮宗信者だけではなく、特に秋のお会式のころには、大田区矢口の新田明神(現在の新田神社)や大田区六郷の安養寺・古川薬師への参詣、あるいは紅葉見物を兼ねた周遊コースとなっていた様子が記されています。

さて、江戸の町から池上本門寺に向かう主要な道は、東海道を通り、南品川宿から大井村を通るいわゆる現在の池上通りに近い道でした。

この南品川宿から池上道に合流する道筋はいくつもあったと考えられますが主な道筋は3つあり、その1つは南馬場から今のゼームス坂通りに近い道筋から立会川に架かる上立会橋を利用する今の池上道に合流する道筋で、道幅は3間(5.4メートル)でした。

2つ目は青物横町から仙台坂、立会川の中立会橋を渡って大井三ッ又で今の池上通りに合流する道、3つ目は青物横町から伊達家下屋敷付近を南に折れて、今の月見橋を渡って西光寺・光福寺の前を通って来迎院付近で池上通りに合流する道です。

また、品川宿から東海道をさらに進み現在の京浜急行梅屋敷駅付近から本門寺へ向かう道も利用していました。

このほかに、中原街道からは平塚橋で折れて中延村へはいり通称「中通り」といわれる道で、法蓮寺の前を通って馬込村から池上に達する道などがありました。

次に、現在、品川区内に残っている池上道を示す道標についてお話しましょう。

その場所は大井一丁目の清護稲荷神社 (せいごいなりじんじゃ)内と西大井一丁目の路傍、豊町の大原不動堂内と中延五丁目の庚申堂 (こうしんどう)脇と路傍の合計5基が残っています。

そのうち2基は日蓮宗信者が建てたもので、大井一丁目清護稲荷神社にある天保9年(1838年)造立の道標は品川宿と日本橋の講中が建てたもので、正面に池上本門寺の貫主の筆による題目が刻まれています。

中延五丁目のものは「下中延村題目講中 (しもなかのぶむらだいもくこうじゅう)」の人たちが天保2年(1832年)に建てたものです。

このほか池上道を示す道標は、目黒区・大田区・世田谷区の各区には合わせて22基が現在も残っており、江戸近郊の広い範囲から池上本門寺を目指して人びとが集まってきていたことがわかります。

 次回は、江戸時代の道 第7回 -鵜の木光明寺道 (うのきこうみょうじみち)-をお送りします。

 

江戸時代6

・品川区西大井1-6-3

【元禄 (げんろく)8年銘道標】

 正面の左側面に「従是 (これより)池上本門寺道」と標示されています。

 区内最古の道標です。

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