品川人物伝 第7回

更新日:平成22年12月27日

日本の製薬王 星一

 品川歴史散歩案内 品川人物伝 第7回 23.2.1~2.28

日本の製薬王 星一(はじめ)

 

品川人物伝第7回は品川区荏原にあります星薬科大学の創設者で、実業家の星一を紹介します。

現在、品川区西五反田の東京卸売センターが建っている辺りが星製薬の工場跡です。

星薬科大学の敷地を含めて2万3千坪という広大な土地を所有していました。

星一は明治6年(1873年)、福島県磐城郡錦村(にしきむら)に生まれました。

県下で小学校の教員を務めながら上京のための資金を蓄え、明治24年、神田の東京商業学校夜間部に入学します。

そこで、校長の高橋健三に勧められ、日本の近代化に大きな影響を与えた啓蒙書、『西国立志編(さいごくりっしへん)』を読みアメリカへの留学を志すようになります。

 

米国への留学

明治27年(1894年)、卒業後に渡米し、サンフランシスコで働きながら学費を貯めます。

明治29年、コロンビア大学に入学し経済学と統計学を専攻しました。

在学中、日米の文化交流に役立てたいと「日米週報(にちべいしゅうほう)」という小新聞を発行し、卒業後は月刊誌『ジャパン・アンド・アメリカ』を刊行しています。

星は明治38年に帰国しますが、米国滞在は約12年に及び、その間、同郷の野口英世や政治家の後藤新平などと知り合い交流を深めました。

 

製薬事業の成功

帰国後、星は湿布薬「イヒチオール」の製造事業を始めます。

事業は大成功し莫大な利益を生み出しました。

また、明治41年には周囲の人々に推され福島県から衆議院議員選挙に立候補し当選しています。

明治44年、星製薬株式会社を設立し、西五反田に近代的な工場を建設、株式の公募や衛生面、福利厚生の重視など、現代に通じる新しい経営を行います。

星製薬は日本で初めて、モルヒネの製造に成功し、その国産化を果たします。

その後もコカインなど植物系薬品の国産化を進め、事業を拡大していきました。

 

人生を変えた出来事

こうして事業も順風満帆に発展していく中、大正14年、突如として不幸な運命が星を襲いました。

星製薬の成功に対する同業者の嫉妬や政党間の争いから、生阿片(なまあへん)の取扱いに関連して、犯罪者の汚名を着せられてしまいます。

2年にも及ぶ裁判の末、ようやく無罪となったものの、実業家としての信用は大きく傷つき、再び勢いを取り戻すことはできませんでした。

戦後、星は昭和21年の衆議院議員選挙で当選、翌年の第1回参議院議員選挙全国区ではトップ当選を果たしますが、昭和26年、ペルーへの日本人移民とコカイン栽培計画のため滞在していたロサンゼルスで客死します。

 

星薬科大学の設立

星一が明治44年(1911年)、星製薬社内に設けた教育部門は星製薬商業学校に発展、その後、星薬学専門学校を経て、昭和25年の星薬科大学の設立へと受け継がれました。

星薬科大学は、今年創立100周年を迎えます。

 

 

 

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 星薬科大学

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