品川人物伝 第8回

更新日:平成23年3月18日

初代内閣総理大臣

品川歴史散歩案内 品川人物伝 第8回 平成23年3月1日~3 月31日

初代内閣総理大臣 伊藤博文

 

品川人物伝第8回は品川区西大井6丁目の墓所に眠る伊藤博文を紹介します。

伊藤博文は、天保(てんぽう)12年(1841年)、現在の山口県光(ひかり)市に、小作農の子として生まれました。

幼名は利助(りすけ)、後に俊輔(しゅんすけ)と称しました。

その後、父が足軽の伊藤家の養子となったため、萩城下に移り住みます。

 

江戸時代の伊藤博文

安政(あんせい)4年(1857年)、17歳の時に吉田松陰の松下村塾(しょうかそんじゅく)に学び、やがて尊皇攘夷(そんのうじょうい)運動に身を投じます。

文久(ぶんきゅう)2年(1862年)には、高杉晋作ら同志とともに、品川の御殿山に建設されていたイギリス公使館の焼き討ちにも参加しました。

翌年、藩命で井上馨(かおる)ら4名とともにイギリスへ密航し、ロンドンの大学で学びます。

西洋文明に直に触れた伊藤は開国論に転じます。

伊藤がロンドンへ向けて出発した年、長州藩は攘夷を掲げ下関海峡を通過する外国船に対して砲撃を加えました。

イギリスやフランスなどの四か国による長州藩への報復計画を知った伊藤と井上は急遽帰国し、戦争を回避するために奔走します。

藩の政策を変えることはできず、下関砲台は四国連合艦隊によって占領されてしまいますが、その後、伊藤は討幕運動の中で頭角を現していくこととなります。

 

明治維新後の活躍

明治維新後は、政府の要職を務め、明治15年(1882年)にはヨーロッパに渡って憲法や政治制度などの調査を行いました。

その成果をもとに内閣制度や大日本帝国憲法の制定など、近代日本の政治制度の基礎を築きました。

明治18年(1885年)、初代の内閣総理大臣に就いたのをはじめ、4度、内閣総理大臣として日本の舵をとりました。

明治38年(1905年)から5年間、韓国統監(とうかん)を務めたあと、明治42年(1909年)にロシア蔵相との会談のために訪れた中国東北部のハルビンで、朝鮮の独立運動家、安重根(アンジュングン)に狙撃され亡くなりました。

 

大井の墓所

伊藤博文の別邸(べってい)が現在の品川区大井3丁目付近にあったことから、国葬のあと、近くの西大井6丁目の墓所に葬られました。

高さ約2メートルの円墳の前に鳥居を配した神式の墓所で、右隣のやや小型のものは梅子夫人の墓です。

なお、大井にありました伊藤博文の別邸は、平成10年に解体されましたが、その一部は山口県萩市に移され保存されています。

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大井の墓所

 

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