品川人物伝 第9回

更新日:2011年6月6日

鏝絵(こてえ)細工の名工 伊豆長八

品川歴史散歩案内 品川人物伝 第9回 平成23年4月1日~4 月30日

鏝絵(こてえ)細工の名工 伊豆長八(いずのちょうはち)

 

品川人物伝第9回は、品川区東品川の寄木神社本殿の両扉内側に『鏝絵 天細女命功績図(あめのうずめのみことこうせきず)』を制作した伊豆長八を紹介します。

鏝絵とは、建物の壁面などに塗る漆喰(しっくい)の上に、鏝で描いた絵のことです。

 

一人前の左官職人に

伊豆長八、本名、入江長八は、文化12年(1815年)現在の静岡県賀茂郡松崎町の貧しい農家に生まれました。

7歳の時、近くの浄感寺(じょうかんじ)の私塾で読み書きを学び、12歳の時、地元で左官(さかん)の棟梁(とうりょう)をしていた関仁助(にすけ)のもとへ年季奉公に出されました。

長八は仕事の覚えが早く手先が器用で、数年のうちには、一人前の左官職人になりました。

天保4年(1833年)、19歳の時に江戸に出て、左官の親方のもとに身を寄せます。

 

長八が名声を得たきっかけ

21歳から3年間ほど、川越の画家で谷文晁(ぶんちょう)の門人、喜多武清(きだぶせい)から狩野派の絵を学び、その後の作品に大きな影響を受けました。

天保12年、長八が27歳の時、火事で焼失した日本橋茅場町にある薬師堂が再建されることとなり、その鏝絵細工を任されることになりました。

左右の御拝柱(ごはいばしら)に制作した『のぼり龍』、『くだり龍』は一躍人々の評判となり、長八の名声を高めました。

江戸が東京となり明治の世になっても、長八の制作意欲は衰えることがなく、61歳から66歳頃の作品が最も多いといわれ、亡くなる年まで制作を続けました。

江戸市中をはじめ、その周辺地域や、生まれ故郷の松崎などで多くの鏝絵の作品を制作しました。

 

品川区内の作品

品川区内においても、寄木神社をはじめ、北品川の善福寺(ぜんぷくじ)、東五反田の袖ヶ崎(そでがさき)神社社殿、北品川の遊郭(ゆうかく) 土蔵相模(どぞうさがみ)などで仕事をしましたが、関東大震災や戦火によって、その多くは消失してしまいました。

現在、区内に残されている作品は、品川区指定文化財となっている寄木神社の『鏝絵 天細女命功績図』のほか、善福寺本堂の軒下漆喰壁にねりあげられた竜の図柄の細工のみとなってしまいました。

寄木神社本殿の鏝絵は、幕末から明治初年頃の作品で、本殿の両扉に向かって右の扉絵に猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)の立像、また、左の扉絵には天細女命と天照大神(あまてらすおおみかみ)の立像が配された図柄となっています。

伊豆長八は、明治22年(1889年)10月8日、深川八名川町(ふかがわやながわまち)(現江東区深川)の自宅にて75歳で亡くなりました。

遺骨は浅草正定寺(しょうじょうじ)に埋葬され、故郷の浄感寺にも分骨されています。

長八の作品は松崎町にある伊豆の長八美術館にて展示されています。

 

 

 

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 『鏝絵天細女命功績図』

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