品川人物伝 第10回

更新日:平成23年5月31日

大森貝塚の発見 モース博士

品川歴史散歩案内 品川人物伝 第10回  平成23年5月1日~5月31日

大森貝塚の発見 モース博士

 

品川人物伝第10回は品川区大井にある大森貝塚を発見したモース博士を紹介します。

本名、エドワード・シルヴェスター・モースは1838年(天保9年)アメリカ合衆国メイン州の港町、ポートランドに生まれました。

 

学生時代のモース

モースは科学に興味をもった母親の影響を受け、子どものころから近くの海や川で貝類の収集をはじめ、ポートランド地区の貝のコレクションを作成しました。

しかし、学校生活にはなじめずハイスクールを卒業することはできませんでした。

製図工をしながら独学で貝類の研究を続けたモースは、19歳の時に、新種のカタツムリを発見し、学会でも認められるようになりました。

その後、ハーバード大学の動物学者ルイ・アガシ教授のもとで生物学を学びます。

学生助手となったモースは、働きながら大学の講義を受け次第に実力をつけ、様々な研究を発表し、動物学者としての地位を確立していきます。

 

大森貝塚の発見

1877年(明治10年)6月17日、モースは2枚貝に似た腕足類(わんそくるい)の研究のため来日しました。

横浜港に着いた翌々日、東京に向かう汽車が大森駅を出発した直後、線路脇の切通しに白い貝殻が露出しているのを見つけました。

すでにアメリカで貝塚調査を経験していたモースは、ひと目で貝塚と見抜きました。これが大森貝塚の発見です。

 

大森貝塚の発掘調査

東京大学の動物学担当教授に就任したモースは、早速この年の10月から、生徒を指導して大森貝塚の本格的な発掘調査にとりかかります。

日本で最初の科学的な発掘調査であり、その成果は2年後に調査報告書としてまとめられました。

大森貝塚が「日本考古学発祥の地」とされる所以(ゆえん)です。

現在、大森貝塚周辺には二つの記念碑が建てられています。

 

大森貝塚遺跡庭園

品川区大井に建立された大森貝塚碑と大田区山王に建てられました大森貝墟碑(おおもりかいきょひ)です。

二つの碑の存在がモースの発掘調査地点を巡る混乱を招きましたが、1977年(昭和52年)、モースが発掘調査を行った土地に対する発掘補償金関係の公文書が発見され、発掘調査地点が現在の大井6丁目の大森貝塚碑の周辺であったことがわかりました。

1984年(昭和59年)からは、周辺が大森貝塚遺跡庭園として整備され公開されています。

また、同じ年にモース博士が生まれたアメリカ合衆国メイン州のポートランド市と品川区は姉妹都市となりました。

モースは大森貝塚の発掘調査以外にも、滞在中、日本の文化や風俗に興味を持ち、民具や陶器類などを収集しています。

陶器類のコレクションは、現在、ボストン美術館に収められています。

 

晩年のモース

モースは1883年(明治16年)日本を離れ帰国しました。

帰国後は、マサチューセッツ州セーラムのピーボディー科学アカデミーの館長となりました。

終生、日本への関心を持ち続け、日本に関する著作を著したり講演を行ったりしました。

1925年(大正14年)12月、モース博士はセーラムで87歳の生涯を閉じました。

大森貝塚遺跡庭園 

大森貝塚遺跡庭園

 

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