品川人物伝 第11回

更新日:平成23年7月12日

巨大総合商社の創設者 益田 孝

品川歴史散歩案内 品川人物伝 第11回 平成23年6月1日~6月30日

巨大総合商社の創設者 益田  孝(ますだ たかし) 

 

品川人物伝第11回は、品川区北品川の御殿山に邸宅を構えていた実業家益田  孝を紹介します。

益田  孝は、嘉永元年(1848年)10月、佐渡の地役人であった益田鷹之助の長男に生まれました。

幕臣に取り立てられた父の転勤にともない箱館(はこだて)(函館)に移り住んだ益田は、この地で英語を学び始めます。

当時の箱館は開港により、国際化が進んでいました。

 

人生に影響を与えた数々の経験

文久3年(1863年)、池田筑後守(いけだちくごのかみ)の遣欧使節団に父親とともに加わり、フランスに渡りました。

この渡欧経験は、後の活躍にむけての大きな財産となります。

帰国後は幕府の騎兵隊に属し、騎兵隊長に出世していました。

幕府の崩壊により、益田は心機一転商人の道を志し、発展めざましい横浜の地で商売を始め、得意の英語をもって人脈を広げました。

明治4年(1871年)には井上 馨と出会い、彼のすすめで大蔵省に勤務することになります。

ところが、翌々年には司法卿(しほうきょう)(長官)の江藤 新平と対立した井上の辞職にあたって、益田もともに大蔵省を辞職することになりました。

益田はまだ20代半ばのころでした。

 

経済界での活躍

そしてその後、外国貿易を行う現在の商社にあたる先収会社(三井物産の前身)の創立に参加することになります。

明治9年(1876年)3月には、三井物産会社設立にともない、社長となりました。

三池炭鉱(みいけたんこう)の買い取りを成功させたことをはじめ、その能力を発揮し、巨大な総合商社になるまで成長させました。

また、三井物産設立と同年、現在の日本経済新聞の前身である「中外物価新報(ちゅうがいぶっかしんぽう)」を創刊し、経済界全体の発展にも寄与しました。

 

風流人としての一面

こうした実業家としての成功を収めた益田は、鈍翁(どんのう)という号も持つ茶人の顔も持っていました。

品川区の御殿山(現在のミャンマー大使館周辺)にあった広大な邸宅内に茶室や陶器窯を設けて、お庭焼(おにわやき)を楽しむなど風流な人物でした。

茶道具や古美術の蒐集家(しゅうしゅうか)としても知られ、日本や東洋の古美術全般にわたる膨大なコレクションを残していたことでも有名です。

昭和13年(1938年)12月、益田孝は、91歳でその生涯を終えました。

 

 

 

御殿山 

 緑多い御殿山周辺

次回のお知らせ 

品川人物伝 第12回 江見 水蔭(えみ すいいん)をお送りします。

 

 

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