品川人物伝 第15回

更新日:2012年8月16日

江戸の名僧 沢庵和尚(たくあんおしょう) その2

品川歴史散歩案内 品川人物伝 第15回 23年10月1日~10月31日

江戸の名僧 沢庵和尚(たくあんおしょう) その2

 

品川人物伝第15回は、前回に引き続いて、北品川にあります東海寺の開山(かいさん)、沢庵宗彭(沢庵和尚)を 紹介します。

 

江戸に呼び寄せられたいきさつ 

寛永6年(1629年)、「紫衣事件(しえじけん)」で幕府を批判したことにより、出羽国上山(かみのやま)に流罪とな った沢庵でしたが、寛永9年に大御所の秀忠が亡くなると、大赦 (たいしゃ)で許され江戸へ向かいました。

2年 後、大徳寺に帰山し二条城で将軍家光と接見することになりました。

これを機会に、家光は沢庵の人物に惹かれ信頼を寄せるようになります。

寛永13年、家光は沢庵を江戸へ呼び寄せ厚遇します。

度々、沢庵は家光主催の茶会にも招かれます。

また、家光は沢庵のために品川御殿に隣接する地に東海寺を建立する計画を進めます。

沢庵は家光に仕え江戸に永住する意思がなかったため、苦悩することとなりますが、寛永16年、将軍の命(めい)により落成した東海寺に入り開山となりました。

 

問答河岸のいわれ 

その後、家光は頻繁に東海寺を訪れています。

『徳川実記(とくがわじっき)』に、北品川の河岸(かし)に迎えに出た沢庵と家光が問答(もんどう)を交わしたエピソードが記されています。

「海近うして、東海寺(遠海寺)とはいかに」という将軍の問いに対して、沢庵は「大君(たいくん)にして将軍(小軍)と称し奉るがごとし」と答えたと言われます。

現在の北品川1丁目23番と29番の間の通路辺りが「問答河岸(もんどうがし)」と呼ばれていました。

 

 文化人としての一面 

また、沢庵は禅僧としてだけではなく、詩歌、書画、茶道はじめ兵法などにも広く通じた一流の文化人であり、多くの大名や文人との交流を持ちました。

正保2年(1645年)、病に倒れた沢庵は、「亡骸(なきがら)はただ後ろの山に埋めるだけにして、読経も法事もし てはならない。

塔や位牌も不要であり、自分の年譜行状などの記録を作らないように」などの遺戒を弟子に残しました。

沢庵がたどり着いた自らの存在も無化する境地が現れています。

 

 国の指定史跡となっている墓所 

その年の12月11日、沢庵は「夢」の一字を書き遺し73歳で没しました。

沢庵の墓は北品川4丁目の東海寺大山墓地内にあり、低い石塀に囲まれ台座の上に直径約1メートル、高さ0.5メートルにやや扁平な自然石が置かれています。

墓所は大正15年に国の指定史跡となりました。

 

 

 

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 国の指定史跡

    ―沢庵和尚の墓所― 

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