品川人物伝 第21回

更新日:平成24年5月7日

失明を乗りこえた庶民派代議士 高木正年 (たかぎまさとし)

品川歴史散歩案内 品川人物伝 第21回 24年4月1日~4月30日

失明を乗りこえた庶民派代議士 高木正年 (たかぎまさとし)

 

品川人物伝第21回は、品川区南品川の妙蓮寺に眠る政治家、高木正年を紹介します。

正年は、安政3年(1856年)細井半兵衛以年(ゆきとし)の三男として荏原郡南品川に生まれます。

生家は老舗の質商で、父の半兵衛は南品川宿の宿場総代として宿場の発展に尽くしました。

正年は幼いときから大変利発で、特に記憶力が抜群に優れていました。

その後、祖母の実家にあたる高木家の養子となり、跡を継ぎます。

高木家は諸大名の御用達を務める裕福な家で、正年の養祖父にあたる高木市兵衛以孝は、趣味豊かで文筆に優れ春山と号し、博物学者としても知られています。

 

府中への疎開 

正年は10歳頃、幕末の騒乱を逃れるために府中へ疎開、大国魂神社と関係深い素封家桑田家の世話になります。

そして、大国魂神社の会計を司る神官となり、10年ほどをこの地で過ごします。

また、府中では隠棲中の木村芥舟から蘭学などを学んでいます。

芥舟は万延元年(1860年)に咸臨丸の司令官としてアメリカに渡り、幕府の軍艦奉行などの要職を歴任した人物です。

品川に戻った正年は、地域の指導者として頭角を現し、20歳頃には「品川の若先生」と呼ばれ、人々から敬愛されるようになりました。

 

議員生活の始まり 

正年が本格的に政治と関わるようになったのは、明治15年(1882年)に25歳で東京都府会議員となってからで す。

明治23年(1890年)には、帝国議会開設に伴い、実施された第1回衆議院議員選挙に、荏原郡と伊豆七島を範囲とする東京12区から立候補、定員1名の激戦を制して、見事当選を果たします。

大隈重信に師事し、立憲改進党の代議士として活躍を始めます。

 

視力を失って 

そのような正年の人生が一変したのが、明治29年(1896年)、40歳の時です。

公用で京都に行った帰りの汽車の中で、突然視力を失います。

東京に戻り、診察を受けると、右目は既に手遅れの状態でしたが、左目は回復の見込みが立ち、入院治療を続けました。

しかし、ちょうどその頃、東京湾岸の漁業者達が漁業権問題で、病院へ陳情に来ます。

漁民の生活を守るため、正年は治療を中断し、解決に奔走しました。問題は漁業者の納得のいく方向にすすみましたが、両眼とも視力を失う結果となりました。

絶望した正年は、代議士の道をあきらめかけますが、周囲からの励ましを受けて、再起します。

失明直後に実施された明治31年3月の選挙では、僅差で落選しましたが、同じ年の8月の選挙で、当選を勝ち取ります。

 

終生一議員として活動 

正年は、勅選議員への推薦や役職を固辞して、終生一議員として庶民の側に立ち活動を続けました。

また、目が見えない正年を支える書生を数人雇っていたために、生活は大変きびしいものでしたが、自らの家財を政治活動に投じるほど、金銭面には清廉な人物でした。

昭和9年(1934年)12月26日、持病の喘息をおして国会での演説を行い、その5日後、急性肺炎のため入院先 の病院で、79歳の生涯を閉じました。

昭和39年、墓所のある妙蓮寺に高木正年の胸像が、その門下生などによって建立されました。

 

 

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妙蓮寺の高木正年胸像 

 

次回のお知らせ

次回は、品川人物伝 第22回 ジョサイア・コンドル をお送りします。

 

 

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