品川人物伝 第22回

更新日:平成24年4月11日

日本近代建築の父 ジョサイア・コンドル

品川歴史散歩案内 品川人物伝 第22回 5月1日~5月31日


日本近代建築の父 ジョサイア・コンドル


品川人物伝 第22回は、品川区東五反田にある清泉(せいせん)女子大学本館の設計を手掛けたジョサイア・コンドルを紹介します。

 

ロンドン時代のコンドル


コンドルは、1852年9月、イギリス、ロンドンで銀行員の父のもとに生まれました。


その頃、日本は江戸時代の後期でした。


幼い時に父を亡くした後、商業学校に通っていたコンドルですが、建築家をめざして建築事務所で修行しながら、美術学校に学びました。


ロンドン大学で建築や美術を修めた後は、次に入った事務所で実務経験を積み、有名なコンペで新人賞をもらっています。

 

日本へ


そして、24歳の時にお雇い外国人教師として日本に招聘(しょうへい)され、工部大学校(こうぶだいがっこう)造家(ぞうか)学科(現 東京大学工学部建築学科)で教鞭をとることになりました。


授業は英語で行われ、建築は美であるというコンドルの考えやその教えは、それまで建築になじみのなかった生徒たちにとっては、新鮮で興味深く、授業は充実したものでした。


教え子には、東京駅や日銀本店を設計した辰野金吾(たつのきんご)、新宿の迎賓館にかかわった片山東熊(かたやまとうくま)などがいて、彼の教え子たちが日本の建築界の土台を築き上げました。

 

数々の作品


教鞭をとる一方、コンドルは実際に洋風建築の設計にもかかわります。


代表的なものに鹿鳴館やニコライ堂がありますが、その他に数々の邸宅も残しています。


西洋建築にその土地の文化を取り入れた設計が、彼の特徴でした。


彼の作品の一つである清泉女子大学の本館は、もともとは旧鹿児島藩主の島津公爵邸(しまづこうしゃくてい)として、大正6年(1917年)に完成しました。


屋敷があった東五反田3丁目あたりは、島津山と呼ばれています。


屋敷は関東大震災に耐えうるほど堅固で、戦後、日本銀行が所有していた時期を経て、昭和37年(1962年)、東京へ移転を計画していた清泉女子大学が購入しました。


建物は、ステンドグラスやマントルピースなどの装飾がほどこされた地上二階建ての洋館で、円弧状のベランダからは立派な庭園を眺めることができます。


そこには、推定樹齢200年以上の大きなフウの木が立っており、品川区指定の天然記念物になっています。


また、この清泉女子大学の本館は、今年3月に東京都指定の文化財になりました。

 

コンドルと日本


そのように建築界で活躍したコンドルですが、日本舞踊家だった妻のくめの影響も少なからずあったのか、日本文化にも傾倒、研究したことでも知られています。


彼の興味は日本庭園や生け花、日本画等に注がれ、殊に日本画においては、画家河鍋暁斎(かわなべきょうさい)に師事し、『暁英(きょうえい)』という号を持つほど熱心でした。


そして、このように日本を愛したコンドルは日本を離れることなく、東京で67歳の生涯を終えました。


文京区にある護国寺(ごこくじ)の墓地で安らかに眠っています。

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島津山周辺の様子 

 

 

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