品川人物伝 第25回

更新日:2013年4月4日

時代小説家 吉川英治 その2

品川歴史散歩案内 品川人物伝  第25回  8月1日~8月31日


時代小説家 吉川英治  その2


品川人物伝 第25回は、前回に引き続き、品川区北品川の御殿山に居住していた小説家、吉川英治を紹介します。

大正12年(1923)、関東大震災が発生し、勤めていた新聞社が被害を受けて解散、それを期に、英治は文筆活動に専念することを決意します。


31歳になっていました。

 

巡ってきたチャンス 


大正14年、作家としてスタートした英治に大きなチャンスが巡ってきます。


講談社が新たに大衆文芸誌「キング」を創刊することとなり、はじめて、吉川英治のペンネームで『剣難女難(けんなんじょなん)』の連載を開始します。


この小説は大評判となり、「キング」の成功に寄与しました。


翌年、実力が認められた英治は、大阪毎日新聞社から執筆の依頼を受け、阿波の国に潜入する幕府隠密を描いた『鳴門秘帖(なるとひちょう)』を連載しました。


これもまた大好評で、映画化されるほどの人気をよびました。

 

数々の作品 


英治は人気作家としての地位を確立し、原稿の依頼が殺到するようになり、多くの作品が生み出されました。

昭和10年(1935)、朝日新聞に代表作となる『宮本武蔵』の連載を開始したのをはじめ、昭和14年に『新書太閤記』や『三国志』の執筆にとりかかります。

太平洋戦争が始まり、戦況が悪化する中、昭和19年に英治は家族と共に西多摩郡吉野村(現在の青梅市)に疎開します。

翌年8月、終戦を迎えますが、しばらくは筆を断ち、晴耕雨読の生活を送りました。

昭和22年4月、短編小説『人間山水図巻』を発表、再出発の第1歩を踏み出しました。

昭和25年からは、「週刊朝日」に『新・平家物語』の連載を開始、以後7年間は短編小説を除いて、この一作に没頭します。

 

家族と品川区へ

昭和28年、子ども達の進学と通学のため、一家は吉野村から品川区北品川の御殿山に建つ洋館へ転居。

また、その12月に「品川文化人クラブ」が結成されると会長に就任し、北品川の東海寺大山墓地内にある国指定史跡、賀茂真淵(かものまぶち)の墓の補修工事のため、募金活動などに協力しています。

昭和32年、この地で『新・平家物語』の完結を迎えますが、5月には、一家は渋谷区松濤(しょうとう)へ、そして、翌年には疎開前に住んでいた港区赤坂へ居を移しています。

その後、大衆文学の第一人者として、文化勲章を受章しました。

昭和36年、健康状態が悪化し、肺ガンの摘出手術を受けますが、翌年に再発。

9月7日、入院先の国立がんセンターにて死去しました。

享年70歳でした。

吉川英治が家族と共に暮らした御殿山の建物は、ほぼ当時のままの姿を残し、平成23年1月26日に国の登録有形文化財となりました。

 

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旧吉川英治邸 

 

 

次回のお知らせ

次回は、品川人物伝 第26回 渋川春海(しぶかわはるみ)をお送りします。

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