品川人物伝 第28回
更新日:平成24年8月17日
SF小説家 星 新一 その1
品川歴史散歩案内 品川人物伝 第28回 11月1日~11月30日
SF小説家 星 新一 その1
品川人物伝 第28回は、品川区平塚に住んだ小説家、星新一を紹介します。
星新一は大正15年(1926)9月6日、東京市本郷区駒込曙町に生まれました。
父親は政治家であり、星製薬株式会社の創業者で、「日本の製薬王」と言われた星一、母親の精は人類学者の小金井良精(こがねいよしきよ)と森鴎外の妹・喜美子の娘でした。
星製薬が掲げていた「親切第一」の標語から「親一」と命名されました。
新一が生まれた頃、父親は同業者や対立する政党の陰謀により、阿片事件で苦況に立ち、犯罪者の汚名を着せられ裁判の最中でした。
その後、無罪判決を勝ち取るものの、事件で信用を失った星製薬は大きな打撃を受けました。
自宅も人手に渡り、父親は事業の立て直しに多忙を極めていたため、一家は曙町の母の実家で暮らし始めます。
母親が弟と妹の世話にかかりきりであったため、両親よりも祖父母の手で育てられました。
小説との出会い
昭和8年(1933)、新一は裕福な家庭の子どもが通う東京女子高等師範附属小学校に入学、江戸川乱歩の探偵小説などを読みふける読書好きの少年でした。
昭和14年にリベラルな校風で知られた東京高等師範附属中学校に進学、中学校在学中の昭和16年12月、太平洋戦争がはじまります。
その後、東京高等学校を経て、昭和20年に東京帝国大学農学部農芸化学科に入学します。
その年の3月に一家は星製薬に近い荏原区西戸越(現在の品川区平塚)に転居しました。
終戦後の昭和21年4月、父親の一は戦後初の衆議院議員選挙で当選、翌年4月には日本初の参議院議員選挙に立候補し、全国区でトップ当選します。
その直後、一が軽い脳卒中で倒れたため、大学在学のまま父の手伝いをするようになりますが、この時点では父親の事業を継ぐといった明確な意思があったわけではないようです。
しかし、昭和26年に父親が滞在先のロサンゼルスで客死すると、間もなく社長に就任します。
社長就任当時の星製薬は莫大な負債を抱え、ひどい経営状態にありました。
若い新一が会社の再建を担えるはずもなく、1年半あまりで副社長に退きます。
作家デビュー
副社長となり暇をもてあます新一に転機が訪れます。
品川区の五反田に創立された「日本空飛ぶ円盤研究会」が機関紙「宇宙機」を創刊したことが、昭和31年7月の朝日新聞のコラムに紹介されます。
新一はこの記事をきっかけに研究会に入会、月例会にも出席するようになります。
さらに、月例会でSF同人雑誌刊行の提案がされると、新一もその仲間に加わります。
昭和32年5月に刊行された同人誌「宇宙塵」創刊号で随筆を、その第2号でSF小説「セキストラ」を発表します。
この「セキストラ」が江戸川乱歩の目にとまり、乱歩編集の雑誌「宝石」に転載され、作家としてのデビューを果たしました。
筆名は新しいの「新」の字で「新一」としました。
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星新一が散歩した 戸越銀座商店街
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次回のお知らせ
品川人物伝 29回 星新一 その2 として、作家デビュー後の活躍を紹介します。
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