品川人物伝 第30回

更新日:平成24年8月17日

歴史学の先駆け 久米邦武(くにたけ)

品川歴史散歩案内 品川人物伝 第30回 1月1日~1月31日

歴史学の先駆け 久米邦武(くにたけ)


品川人物伝 第30回は、品川区上大崎に屋敷を構えていた久米邦武を紹介します。


邦武は、天保(てんぽう)10年(1839)佐賀藩士であった父親邦郷(くにさと)のもとに生まれ、幼名を泰次郎(たいじろう)といいました。


父は皿山代官(さらやまだいかん)や大阪蔵屋敷詰(くらやしきづめ)、長崎聞役(ききやく)を務めた人物でした。


教育熱心な家庭環境であったことから、邦武は幼い頃より、たくさんの書物に囲まれて育ちました。

 

 

弘道館での出会い


そして、16歳の時に藩校(はんこう)弘道館(こうどうかん)に入学します。


そこで、彼にとって生涯の友となる大隈重信と出会いました。


邦武はとても優秀で、22歳になると昌平坂(しょうへいざか)学問所で学ぶために江戸に旅立ち、古賀謹一郎(きんいちろう)の門に入って学びます。


その後、佐賀に戻った邦武は、藩主鍋島直正(なおまさ)の近習(きんじゅ)となり、母校の弘道館で教えることになりました。


そして、明治4年から6年にかけて、大使岩倉具視(ともみ)の欧米視察に随行して、アメリカを始め12カ国をまわる機会を得ます。


この経験が、彼に大きな影響を与えました。


帰国後には、「特命全権大使米欧回覧実記」という書名で、長きにわたるその旅程を、報告書としてつづりました。


内容は、政治・経済をはじめ教育などにも触れた多岐にわたるものでした。

 

 

歴史学者として


明治12年、41歳の時に、国の歴史編纂(へんさん)に関わることになります。


その10年後、東京帝国大学国史学科の教授となりました。


しかし、歴史研究にあたって正確な史料に基づいた史実の考証を主張する彼は、神道を批判する論文を発表したため、多くの国学者たちの反発を買い、職を追いやられてしまいます。


邦武は、それ以降の明治27年から29年まで立教学校(現立教大学)で教鞭をとった後、明治32年から弘道館時代の友人大隈重信の招きもあり、大隈が設立した東京専門学校(現早稲田大学)の文学部で、20年ほど国史を教えました。


こうして、さらに歴史家としての道を究めた邦武でした。


昭和6年(1931)2月、邦武は自宅でこの世を去りました。


江戸時代に生まれた邦武は、明治、大正、昭和と93年間にわたって、多くの時代を生き抜いてきました。


かつて邸宅があった品川区上大崎の敷地には、現在、久米美術館が建っており、邦武の長男で画家の桂一郎(けいいちろう)の作品と一緒に邦武の原稿や著書が、収められています。

 

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久米美術館がある

上大崎付近の様子

 

 

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