品川人物伝 第32回

更新日:平成25年4月1日

時代小説作家 池波正太郎 その1

品川歴史散歩案内 品川人物伝  第32回 3月1日~3月31日


時代小説作家 池波正太郎 その1


品川人物伝 第32回は、時代小説を中心に多くのベストセラーを残し、数々の時代劇・歴史ドラマのヒーローを生み出した小説家、池波正太郎を紹介します。


池波正太郎は、大正12年(1923)1月25日、大雪の日に浅草区聖天町(しょうでんちょう)(現在の台東区浅草7丁目)で父・富治郎、母・鈴の長男として生まれました。


父親の富治郎は綿糸問屋に勤める通いの番頭、母親の鈴は錺(かざり)職人(簪(かんざし)や金具などの細工職人)の娘でした。


この年の9月、関東大震災のため、焼け出された一家は埼玉県の浦和に移り、正太郎は6歳までこの地で過ごしています。

 

浅草での暮らし


その後東京に戻りますが、間もなく両親が離婚したために正太郎は母親に引き取られ、浅草永住(ながずみ)町の母の実家で暮らすこととなりました。


この家には曾祖母と祖父母がいて、正太郎はただ一人の孫として大変可愛がられました。

特に祖父は芝居や相撲見物、美術展などに連れ歩き、浅草の老舗の料理屋にも相伴させました。

この時期の下町での暮らしが小説家となった正太郎に大きな影響をあたえました。

また、小学校時代は、挿絵画家になることを夢見るほど絵を描くことが好きな少年で、後にスケッチなどの作品を残しています。

昭和10年(1935)、小学校を卒業した12歳の正太郎は、茅場(かやば)町の株式仲買(なかがい)店に住み込みで働き始めますが、4か月で辞めてしまいます。

その後、看板屋で数か月働いた後に、今度は兜(かぶと)町の株式仲買店に通いで働くことになります。

以来、19歳で国民勤労訓練所に入るまでの6年余りを兜町で過ごしました。

給料のほかにチップなども入る株屋の生活で、正太郎は年若くして多額の収入を得るようになります。

また、通いでの勤めだったことから自由な時間もでき、毎日のように友人と一緒に上野や銀座などに出向き映画や芝居を観たり、高級な店で食事をしたりしました。

年少にして、大人の世界へと足を踏み入れたのです。

ただ、無軌道とも思える青春を謳歌する一方で、この時期に時代小説から古典、外国小説など様々なジャンルの本を読破しています。

昭和16年12月に太平洋戦争が開戦すると、翌年、正太郎は兜町を去りました。

そして東京・小平の国民勤労訓練所で数か月の訓練を受けた後、旋盤工として芝浦の航空機部品製作所に徴用工として入所します。

 

投稿作品の入選

ちょうどこの頃、「婦人画報」の朗読文学欄に投稿を始めるようになり、投稿した短編4篇中、「兄の帰還」が入選となったほか、3篇が選外佳作となり、文章を書く楽しみを知るようになります。

昭和19年2月、召集されて横須賀海兵団に入隊しました。

海外の戦地に行くことはなかったものの厳しい軍隊生活を送り、昭和20年8月の終戦を鳥取県米子の美保(みほ)航空基地で迎えました。

戦後、昭和21年に東京都の職員となり、下谷区役所の予防衛生係でDDTの散布等に従事するかたわら、この年に創設された読売新聞社の「読売演劇文化賞」脚本募集に戯曲を応募し入選します。

翌年の第2回演劇文化賞では佳作となりますが、この時の選者の中に、後に師と仰ぐ長谷川伸(しん)の名がありました。

意を決して長谷川伸に手紙を書き訪問した翌年の昭和24年、正式に門下生になった正太郎は26歳となっていました。

 

次回のお知らせ

品川人物伝 第33回 池波 正太郎 その2 は長谷川伸の門下生となって以降の活躍をお送りします。

 

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