品川人物伝 第36回

更新日:平成25年8月1日

民俗学者で歌人 折口信夫(おりくちしのぶ)(釈迢空(しゃくちょうくう))

品川歴史散歩案内 品川人物伝 第36回 7月1日~7月31日


民俗学者で歌人 折口信夫(おりくちしのぶ)(釈迢空(しゃくちょうくう))

 

品川人物伝 第36回は、品川区内に暮らした民俗学者の折口信夫を紹介します。

折口信夫は「釈迢空」の名前で、歌人としても知られています。

信夫は、明治20年(1887)、大阪府西成郡(にしなりぐん)木津村(現 大阪市浪速区敷津西(しきつにし))に生まれました。

生家は生薬・雑貨業を営む商家で、父親は医者も兼ねていました。

育英高等小学校へ明治29年に入学した後、大阪府立第五中学校へと進みました。

中学の国語科教師から聞いた『万葉集』や古代神話がその後の信夫に影響を与えました。

また、この頃から自作の短歌を『新小説』などの雑誌に投稿するようになります。

明治35年に父親が急逝、学校の成績も下がりはじめ卒業試験で落第、1年遅れて卒業します。

そして、医者の道へ進ませたい家族の反対を押し切り上京、国学研究が盛んな国学院大学予科に入学します。

その後、国文学科2年生になる頃には、優秀な成績で特待生となっています。

大学時代には、考古学や人類学への関心を高め、考古学会へも入会しています。

一方、短歌では、正岡子規門下の歌人が集う根岸短歌会に出席、伊藤左千夫(さちお)や斉藤茂吉などアララギ派の歌人を知ります。

明治43年、大学を卒業した信夫は大阪へ帰ります。

翌年、大阪府立今宮(いまみや)中学校の嘱託教員の職に就き、大正3年(1914)まで教鞭をとりました。

退職の前年には、日本民俗学の創始者といわれる柳田国男が主宰した民俗学雑誌『郷土研究』に「三郷巷談(さんごうこうだん)」を投稿し掲載されています。

 

柳田国男との出会い

教員を辞めた信夫は再び上京し、大正4年、ついに柳田国男と出会う機会を得ます。

信夫28歳の時のことでした。

大正5年、『万葉集』の口語訳を始めて、翌年にかけて、最初の著書である国文口訳叢書(こうやくそうしょ)『万葉集』全3巻を刊行。

大正8年に国学院大学の講師、ついで同11年には教授となります。

この時期、信夫は柳田との交流を深め、その研究に接することで、民俗学へ傾倒していきます。

向かうべき学問の方向性も明確となり、民間伝承の探訪のため、沖縄をはじめ各地へ実地調査に出向くようになります。

昭和3年(1928)には、慶応義塾大学文学部と国学院大学の教授を兼務します。

 

生活拠点を品川へ

同年、住居を東京府荏原(えばら)郡大井町字(あざ)出石(いずるいし)(現在の品川区西大井3丁目)に移し、以後、死去するまでの25年間、研究活動の最も充実した時期をこの地で過ごしました。

昭和4年、それまでの研究成果をまとめた最初の論文集『古代研究』の「民俗学篇1」と「国文学篇」を刊行。

この頃から、後に「折口学」とも呼ばれる独自の学問体系が形作られていきます。

また、歌人としての信夫は、後進の指導・育成にも努め、多くの弟子を育てています。

戦後、昭和28年(1953)の夏に体調をくずして入院、9月3日急逝しました。

生前、出石の地をよく散策し、途中、路傍の地蔵や庚申塚に必ず頭を下げた信夫は、地蔵を通り過ぎた後にお辞儀を忘れたことに気づき、50メートルほど行き過ぎたところで頭を下げていたというエピソードも残されています。

 

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次回は、品川人物伝 第37回 井上 靖 をお送りします。 

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