品川人物伝 第37回

更新日:平成25年9月1日

文壇の巨匠 井上靖

品川歴史散歩案内 品川人物伝 第37回 8月1日~8月31日


文壇の巨匠 井上靖


品川人物伝 第37回は、かつて品川区に居を構えていた 文壇の巨匠 井上靖を紹介します。

靖は、明治40年(1907)、父隼雄(はやお)、母やえの長男として、軍医であった父の赴任先、北海道上川郡旭川町(現 北海道旭川市)に、生まれました。

父の従軍により、1歳の時に父と離れて、母と代々の故郷静岡県の伊豆湯ヶ島に移り住みます。

その後も父の転任にともない各地を転々としますが、6歳の時に再び郷里に戻り、祖母のかのに育てられました。

祖母の死去後、父母の暮らす浜松へ移り、中学校時代は浜松と沼津で過ごしました。

 

紆余曲折の学生時代 

高校は金沢の第四高等学校(現 金沢大学)に入学。

入部した柔道部では、主将として活躍し、インターハイにも出場しています。

卒業後は、九州帝国大学に入学しますが、学問に対する情熱がなくなり、上京して文学に傾倒します。

昭和7年(1932)九州帝国大学を中退し、京都帝国大学哲学科に入学しなおしました。

靖25歳の時です。

この頃から、小説を書いては雑誌などに応募するようになり、そうするうちに、『サンデー毎日』の懸賞小説に『初恋物語』が入選しました。

また、在学中の28歳の時に、京都帝国大学名誉教授足立文太郎(ぶんたろう)の長女ふみと結婚しました。

大学卒業後は、大阪毎日新聞社に入社、学芸部の記者となります。

その後、日中戦争で軍隊に召集されるも、病気のため僅か4ヶ月で除隊となりました。

記者として復帰してからは、宗教・美術担当の新聞記者として、見聞を広めていきました。

当時の部下には、のちに作家になった山崎豊子がいて、指導にあたっていたようです。

 

作家として一本立ち

会社勤めをしていた40歳の時、約11年振りとなる小説『闘牛』を執筆しました。

翌年、毎日新聞社書籍部副部長として単身上京します。

そして、43歳の時に、『闘牛』で第22回芥川賞を授賞。

『闘牛』は短編小説で、敗戦後まもなく西宮球場で開催された闘牛大会で、靖が強く感じた悲哀感を元に書いたものです。

授賞の知らせは、前年から家族と一緒に住んでいた品川区大井森前町(おおいもりまえちょう)(現 西大井1丁目)の自宅で聞きました。

授賞式の日に庭で撮った家族写真が残されています。

授賞の翌年には、新聞社を退社し、作家を生業とする覚悟を決めました。

雑誌への連載もスタートさせ、数々の作品を世に出していきます。

 

幅広い執筆と活動

多くの作品を残した靖ですが、世界各国をまわり、そこで得た見識を活かしたものもあります。

小説以外にも、造詣が深かった文化・芸術に関わる作品をはじめ、紀行文集も執筆してきました。

特にシルクロードには強い関心を持ち、何度も訪れています。

靖は日中文化交流協会の会長にもなり、日本画家の平山郁夫とは活動を通して親しくなりました。

また、中国を舞台にした長編小説『敦煌(とんこう)』は、発表28年後、大規模に映画化されました。

平成3年(1991)、靖は83歳で死去しました。

葬儀委員長は司馬遼太郎が務めています。

墓地は、かつて少年時代を過ごした地であり、小説『しろばんば』の舞台でもある伊豆湯ヶ島の熊野山にあります。

幅広く活動してきた靖は、69歳の時には文化勲章を受章、74歳の時に日本ペンクラブ会長となっています。

文壇に深くその名を刻んだ井上靖の作品は、今もなお多くのファンを虜にし続けています。

 

今回をもちまして、これまでお楽しみいただきました歴史散歩案内シリーズは終了となります。

有難うございました。

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