大井第一マイ・タウン21 5月号 第203号 音声案内 発行 編集委員会         住所 南大井1−12−6      大井第一地域センター内 電話 3761−2000 FAX 5493−7286 令和3年4月20日発行 1ページ 私たちの町 今は昔3  鮫洲周辺は江戸時代から大井おはやしうらと言って、捕った魚介を将軍家に献上していた 伝統ある漁師町でした。東京湾は多くの川が流れ込むため、栄養豊かな海水が出来、様々な種類 の魚が集まる豊かな漁場でした。巨大な鮫や鯨が現れた記録もあります。 海苔の養殖も盛んでした。海苔は極寒期の仕事です。私が子供の頃まであちこちに海苔乾し場が ありました。昭和36年中学3年の時、宿題で海苔乾し場の調査をした記憶があります。調査の 範囲は鮫洲近辺だけでよかったのだったと思いますが、興味が出たので鈴ヶ森から大森方面、さ らにその先まで海苔乾し場を探してどんどん歩いて行ってみました。ところが延々と続いており 「これじゃ、何処まで行ってもキリねーじゃん」と驚いたことをよく覚えています。品川から 大森・羽田周辺で採れた海苔は浅草に集められ「浅草海苔」の名前で販売されました。浅草で 海苔が採れたわけではありません。  またその後日、友達と海苔の養殖をしている海を見に行ったこともあります。今の大井競馬場 の先へ行けば海苔をつくっていると教えられ、出かけました。競馬場の先は今でこそ八潮団地、 さらにその先まで埋立て地が続きますが、当時はすぐ海、遠く房総が見えました。寒風吹きすさ ぶ海に手を入れ海苔の作業をしている舟が沖まで何艘もありました。昭和の初めまでは皆様ご存 じの竹ヒビで海苔を採ることが知られていますが、当時の私が見たのは竹ヒビより効率的な海苔 網を使った作業だったようです。ここは街中とは全くの別世界の風景で衝撃的でした。私はあま りの寒さに耐えられず、早々に退散しました。  海苔の養殖は大東京港建設のため、昭和37年に漁業権を放棄したことにより、翌38年限り で長い歴史を閉じました。後で考えると、この風景を見ることが出来た最後の機会だったように 思います。この採った海苔を洗い、刻み、海苔すに一日乾し、剥がしてようやく乾海苔として 完成します。どの段階の作業もキツイ仕事であることには間違いありませんが、時代の変化でな くなってしまうのは残念です。後世に伝えたい文化であると思います。 (絵と文 松井 一雄) 2ページ 令和3年度 大井第一地域センター 民生委員名簿地図が記載されています。 詳しくはお問合せください。 3ページ、4ページ 大井第一地域センター管内の施設の行事予定を掲載しています。 詳しくはお問合せください。 お問い合わせ 品川区地域振興部地域活動課大井第一地域センター 電話 03−3761−2000 FAX 03−5493−7286