大井第一マイ・タウン21 7月号 第205号 音声案内 発行 編集委員会         住所 南大井1−12−6      大井第一地域センター内 電話 3761−2000 FAX 5493−7286 令和3年6月20日発行 1ページ 町会より コロナ禍の浜川小学校 大井寺下町会  コロナ禍により、私達の生活は大きく変わりました。もちろん、子ども達の学校生活も色々と変化 しました。浜川小学校に通う1年・3年・6年の3人の児童に学校の様子を聞いてみました。マスクは、 登下校時は必ず、授業中もずっと着用しているようです。体育や外遊びの時は、着ける着けないは自己 選択だそうです。話を聞いた3年男子児童は「何だかマスク着けるのに慣れちゃった」と言っていました。 熱中症の心配もあるので、正しいマスクの着脱を大人が指導すべきでしょう。  学校の入り口には、アルコール、自動体温測定器があり、来訪者は感染防止対策を義務づけられてい ます。職員室前には自動水栓が設置され、各教室前の蛇口はレバーハンドルに取替えられています。給 食時は、全員前を向いて黙食です。教室の換気は、窓・電気の係があり完壁です。「係でなくても気が ついた人が窓を開けたりするわ」と6年女子児童は言っていました。昨年からタブレットが配布され、 各自上手に使いこなしているようです。  変化を受け止め試行錯誤しながらも前進する、浜川小学校、そして子ども達は素敵です。今年開校 87年になる学校は、現在改築工事中です。新校舎の完成を楽しみにしています。 大森周辺の変遷 大井水神町会  大田区と品川区の狭間にある「大森」。暮らしやすい場所ベスト10など話題になる時でも、いつも 名の出ない大森ですが、個人的には都心にも近く、静かで住むにはすばらしい地域だと思います。先日、 古い時刻表を見る機会があり、新橋〜横浜の間に大森が記されているのを見て、大変興味がわき、周辺に ついて今昔検索してみました。  江戸時代、荏原郡大森は農漁村で多摩川からの豊かな栄養が流れ込み、海岸は遠浅で良質の海苔が取れ ました。一方、山側は将軍家の御狩場となっていました。平間街道(現池上通り)で新井宿と呼ばれ、 交通の要所となっていました。文明開化で明治5年、汽笛一声、新橋〜横浜まで最初の鉄道が開通、その 4年後の明治9年鉄道技師の休憩所をつくったことで大森停車場が開業、大変歴史が古い駅であることが 分かります。ちなみに蒲田駅は明治37年、大井町駅は大正3年に開業、鉄道の開通には、後に大森に 別荘をもつ伊藤博文、井上馨などの尽力がありました。当時大森は高台から海岸が望め、風光明媚な場所で した。新橋や横浜で事業を行う人達、政治家・外国人や文化人の高級別荘・住宅地として発展します (現山王馬込地区)。この頃、モース博士により大森貝塚が発見され、弥生中期の山王遺跡など日本考古学 発祥の地となりました。 2ページ  令和3年度大井第一地区管内 町会長・地区委員名簿地図を掲載しています。 詳しくはお問合せください。 3ページ、4ページ 大井第一地域センター管内の施設の行事予定を掲載しています。 詳しくはお問合せください。 お問い合わせ 品川区地域振興部地域活動課大井第一地域センター 電話 03−3761−2000 FAX 03−5493−7286