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#12 大井海岸
まつ乃家 栄太朗さん ∞ 由の家 のぼるさん

花は紅 柳は緑
かつては海沿いに料亭が立ち並び
芸者衆で賑わった 花街 大井海岸
その文化を守り 絶やさぬよう
尽力されているお二人に話をうかがった

女形芸者として 男性女将として

栄太朗さんのメッセージ

まつ乃家 栄太朗さん
Matsunoya Eitaro

ーー日本で唯一の女形芸者として、そして「まつ乃家」の女将として活躍されている栄太朗さん。栄太朗さんが芸者になられたきっかけとは。

栄太朗さん
当時のまつ乃家の女将が、私の母親(まりこ)でした。私が小さいとき、本当に今は芸者衆が少なくなっておりますので、 それこそ「猫の手も借りたい」という環境の中で、男性ではあったのですが母を手伝うために芸者衆としてやらせていただいたのが初めです。


栄太朗さんとご家族 踊りを披露する栄太朗さん

ーー若くして芸者置屋の女将という重責を担う栄太朗さん。女将になられた経緯と大切にされていることをうかがった。

栄太朗さん
母が47歳で他界をするんですけれど、私が23歳で、妹がまだ高校生だったので、私が跡を継ぐということになりました。そのときには、辞めるという気持ちは1ミリもなく、この商売を少しでも未来につなげていくということを一生懸命考えてやっていました。


花街の文化を 区民の方に

栄太朗さん


ーー栄太朗さんが地域に寄せる想いとは。

栄太朗さん
「大井海岸芸者」という風に私は名乗っているんですけれど、もともと今でいう「大森海岸」という場所にあった地域の名前ですね。今は名前が変わって残っていませんが、「大井海岸」という地名を残していこうというのが、私たちのやっていることです。  

ーー潮風香る花街として江戸~昭和と隆盛を極めた「大井海岸」。この地の伝統を絶やさぬよう存在している芸者置屋がある。


かつての芸者衆たち 屋形船にて

ーーまつ乃家は、日本唯一の女形芸者でもあり男性女将でもある栄太朗さんが、亡き母の志を継ぎ、二代目として花街の文化を守るために尽力している。料亭、宴会場、ホテル、屋形船などへ芸者を派遣、お座敷や芸事を中心に古き良き花柳界の息吹を存分に感じられるサービスを提供している。

とにかく芸者になりたくて

のぼるさんのメッセージ

由の家 のぼる
Yoshinoya Noboru

ーー芸者として長いキャリアを持ち、女将として文化を継承してきたのぼるさん。のぼるさんが芸者になられたきっかけとは。

のぼるさん
芸妓置屋の娘に生まれまして、私も芸者になりたいと母に告げましたら、そのとき、私は心臓が弱かったので「あなたにはできない」と言われて。そんなときにある日、年の暮れだったので、ものすごく忙しかったらしくて「暮れのあいだだけでも座っているだけでいいから、お座敷に出してあげなさいよ」って、大きいお姉さん(先輩の芸者さん)が、酔っ払って母に言ってくれたんですよ。そのうち忙しいものだから、毎日のようにお仕事いただいて、今に至りました。


若かりし頃のぼるさん ポーズをとるのぼるさん

大井海岸 花街

のぼるさん


ーー活気溢れる「大井海岸 花街」を知るのぼるさんに、当時の華やかなまちの様子をうかがった。

のぼるさん
当時は料亭さんが30~40軒くらいあったんですね。今の第一京浜国道沿いにある高層マンションが、全部料亭だったんです。芸者衆が200~300人いましたね。夕方になると芸者衆を乗せた人力車が何台も行きかっているようなところでした。入り口にはアーチがありまして「大井海岸 花街」と書いてあって、夜になるとチカチカしててね、それはちょっと今は想像できないと思います。

ーー明治から昭和の頃まで、東京を代表する花街として栄えた大井海岸。その当時から営業していた老舗芸妓置屋「由の家」。


かつてにぎわった宴席 かつてのお座敷の様子

現在のお座敷の様子 現在の由の屋の芸者衆

ーー所属する芸妓が日々、日本舞踊や長唄などの稽古に精進しており、磨き上げてきた伝統芸の数々を気軽に楽しむことができる。古き良き時代の花柳界、その息吹を絶やすことがないように、歴史と伝統を次代に伝えるべく、現代も奮闘している。

母から受け継ぐ DNA

対談


ーー「大井海岸 花街」の文化を伝えていきたい、同じ想いを持って活動されているお二人。そんなお二人の出会いとは。

栄太朗さん
踊りの稽古場におじゃましたのが1番最初ですかね。

のぼるさん
そうですね。お母さんのまりこりちゃんが連れてきてね。まだ栄太朗さんのお母さんがご存命の頃に、私の置屋に所属していたんですね。


まりこさん 若かりし頃の栄太朗さんとまりこさん

のぼるさん
まりこちゃんはとってもパワフルでキャラクターが豊かな子でした。1番大好きだったのは、すごく前向きでポジティブで、ずいぶん励まされましたよ、本当に。やっぱり大きな料亭さんが営業をやめたりとか、芸者衆が少なくなったりとか、そういうときでも「あのマンションをまた料亭にしましょうよ」なんて、とてもできないだろうなと思うことを「やらなきゃダメですよ、思っているだけじゃ」なんて言ってね。

栄太朗さん
それこそビルを料亭に変えようという気持ちで、今も私たちもそう思ってやっていますし。

のぼるさん
だからDNAですよ、やっぱり。

栄太朗さん
私だって置屋の女将をやらせてもらってまだ10年。お母さんはもう…

のぼるさん
んー?

栄太朗さん
何年になります?

のぼるさん
企業秘密!

栄太朗さん
企業秘密か(笑)

のぼるさん
うふふ(笑)

栄太朗さん
でも本当に私なんかよりも考えられないくらい長く女将をやられているとは思うんですけれど、やっぱり女将さんが増えるためには…ということをもう少し考えなければいけないのかなと。

のぼるさん
そうですよね。

栄太朗さん
若い芸者衆を独立させていかなければいけないというか。その子たちが自分でお客さんを取って、やっぱりこの大井海岸という場所に貢献してくれる女将さんになって、ひと花咲かせてくれる子が育っていかなければいけないかな、という風には思いますね。

のぼるさん
そうですね。


プレッシャーが 喜びになる

談笑する二人


ーー「大井海岸 花街」を盛り上げていくために、お二人の考えている取り組みと、今後の展望についてうかがった。

のぼるさん
やっぱり相互関係というか、こちらが増えてもお出先さんがなければ成り立たないですし、お出先さんがあっても芸者がいなければ…というのと同じで。ですので、私たちはまず芸者衆が入れるようなお出先さんを増やしていけるように、栄太朗さんも、私も努めていきたいですし、夢のある若い子を育てていきたいと思います。

栄太朗さん
今後、未来につなげていくためにも、やっぱり女将さんになるバイタリティのある子、負けないぞっていう子が増えていくといいですよね。うちは屋形船に乗る、お母さんは地元の仕事など、ある程度お互いの場所を侵さないっていうのが、なんとなくあるじゃないですか。そしたら、女将として独立する子も別の新しい場所を探して…となると、地域も活性化できて、業種としても良くなっていくのかなと。

のぼるさん
そうですね。それに人を抱えるということは、それだけ自分に責任感がありますから、芸者衆を働かせてあげる場所を増やさなければな、というのが自分のプレッシャーにもなるけれど、それは喜びにもなりますから。花柳界をなんとかするわよっていう子が来てくてると助かりますよね。

栄太朗さん
本当にそうですよね。あと、地元の子が増えていくといいですよね。

のぼるさん
そうですよね!

栄太朗さん
大森なら大森の子、品川なら品川の子がいると嬉しいですよね。地元の子がこのWEBマガジンを見て「あ、行ってみようかな」と思ってくれるといいですね。

のぼるさん
そうですね。そのうち栄太朗さん、芸者マンションでもこしらえてくださいよ!

栄太朗さん
頑張ります(笑)


花街の跡を歩くお二人の姿は 優雅で美しい
「大井海岸を再び芸者衆で盛り上げたい」
そんな想いで さまざまな活動に取り組むお二人
これからも まちに伝統文化という華をもたらしてほしい

最後にお二人から地域で活躍されている区民の方をご紹介いただいた




#13 屋形船
船清 伊東 堅さん ∞ 伊東 優さん




取材日:2020年2月17日(月)
撮影場所:東大井区民集会所
協力:まつ乃家由の家