寛政元年銘石造道標
ページ番号1003890 更新日 2026年10月1日

- 種別
- 史跡
- 指定番号
- 第二十三号
- 所在地
- 小山2-7
- 指定年月日
- 昭和61年3月14日
- 見学
- 可
- 詳細
- 後地交差点にある朝日地蔵堂の前に、正面に、「右目黒不動尊 左碑文谷仁王尊 道」(二行で、中間の下に道)、向かって左側面に、「寛政巳酉年 神田 願主即応 四月吉日」、右側面に、「朗惺寺道」と大きく刻まれた、高さ一〇〇・〇、幅三六・〇、厚さニー・〇センチメートル、安山岩角柱型の道標がある。
本道標は、碑文谷道と目黒道の交差点に建てられたもので、江戸時代多数の参詣人を集めた、目黒不動尊と碑文谷仁王尊への行先を示したものである。
朝日地蔵堂の名は、江戸時代に、浄真寺(九品仏)の開山珂碩上人が、毎日奥沢から芝増上寺までこの辻を通って仏道修業に通っていたが、早朝奧沢を出てこの地蔵堂にさしかかる時に、いつも朝日が地蔵に当たって神々しく感じたことから、上人によって命名されたという。朝日地蔵堂の前には参詣人らのために茶店があり、「すす団子」が有名であった。
本道標は、寛政元年(一七八九)この交差点に、江戸の職人や商人たちによって建立された。銘文により、願主は神田の即応という人であることが分かる。
昭和三十四年(一九五九)の道路拡張により、朝日地蔵堂と共に、わずかながら移動され、その際、東向きだったものが西向きとなったため、道標の示す方角も左右が逆になってしまっている。
近世中期における、区内の道路交通並びに庶民の信仰の実情をよく示していて貴重である。