江戸時代の豆腐料理
今と同じように、江戸時代にも料理の作り方を紹介するレシピ本が出版されていました。ここでは、18世紀後半に出版された「豆腐百珍」という本から、2つの料理を紹介します。
木の芽田楽
画像は国立国会図書館デジタルコレクションより
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レシピの現代語訳
お湯を大きなたらいに満たし、豆腐を切るのも串にさすのもそのお湯の中で行います。こうするとやわらかい豆腐でも落としてしまう心配がありません。お湯から出したらすぐに火にかけます。味噌に山椒を入れるのはもちろんのことです。甘酒のかた作り(米と麹を同量で作り、お湯で薄めていないもの)を2分(約0.75g)くらい味噌に擦り混ぜればもっともよいです。多く入れると甘すぎてかえってよくないです。品川と仙台味噌
このレシピでは、田楽の味付けに味噌が使われています。江戸時代から明治時代にかけて、現在の東大井四丁目にあった仙台藩伊達家の屋敷で味噌がつくられていました。江戸時代後期には藩士用や販売用に作られていたようです。昭和61~63年(1986~1988)にこの場所を発掘したところ、江戸時代と明治時代の味噌をつくる施設跡が見つかりました。明治時代の施設跡は、明治35年(1902)にこの地で開業し現在も続く八木合名会社仙台味噌醸造所のものと考えられています。
溪斎英泉「江戸御殿山桜盛之風景」
左下に田楽を売る人が描かれています。
仙台坂遺跡から出土した竈(かまど)跡
鰻豆腐
画像は国立国会図書館デジタルコレクションより
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レシピの現代語訳
浅草海苔を板に敷きます。その上に、豆腐をすったものにうどん粉を少し混ぜたものを厚さ3分(約9mm)くらいに塗り、幅2寸5・6分(約4.5cm)に切ります。ごま油でさっと揚げ、串に刺して山椒・醤油をつけて焼きます。植物由来の材料(精進物)から肉を模した料理を作ることは往々にしてあることで、結局のところつたない調理法というべきです。しかしここでは、味が大変良い料理を二、三あげて、百種類の料理(百珍)のうちに数えています。
品川の海苔
鰻豆腐では、豆腐で鰻の身を、浅草海苔で鰻の皮を表現しています。江戸時代、品川から大森にかけての海では海苔養殖が盛んに行われ、名産「品川海苔」が誕生しました。観光地浅草で誕生した「浅草海苔」には、品川海苔が使われたとも言われています。
海苔の養殖や海苔づくりの風景は、浮世絵や観光ガイドブックの役割を果たした地誌などに見ることができます。しかし、東京港の建設と拡張工事に伴う漁業権放棄により、昭和38年(1963)に品川の海苔づくりは幕を閉じました。
歌川広重(三代)「大日本物産図会 武蔵国浅草海苔製図」
海苔を作る様子が描かれています。
上段中央やや右の囲みの中には、海苔は荏原郡品川大森でとれると書いてあります。