東海道品川宿
品川宿は東海道第一番目の宿場として整備され、参勤交代の大名や旅人、朝鮮通信使など多くの人々が行き交う場所でした。
一方で宿場には多くの飯売旅籠屋が立ち並び、「北の吉原 南の品川」と並び称されるように、遊興のまちとしての側面もありました。
また、品川宿周辺には御殿山の桜、海晏寺の紅葉、品川沖の潮干狩りなどの行楽地があり、その様子は浮世絵に多く残されています。
品川宿は東海道第一番目の宿場として整備され、参勤交代の大名や旅人、朝鮮通信使など多くの人々が行き交う場所でした。
一方で宿場には多くの飯売旅籠屋が立ち並び、「北の吉原 南の品川」と並び称されるように、遊興のまちとしての側面もありました。
また、品川宿周辺には御殿山の桜、海晏寺の紅葉、品川沖の潮干狩りなどの行楽地があり、その様子は浮世絵に多く残されています。
東海道五拾三次之内
品川 日之出
歌川広重(初代)画
天保4年(1833)頃
江戸内湾で本格的な漁業が行われたのは江戸時代以降のことです。品川区域には南品川猟師町(品川浦)と大井御林猟師町(大井御林浦)の2つの純漁村ができ、江戸城に魚を納める「御菜肴八ヶ浦」として発展しました。
また18世紀はじめには海苔の養殖が始まりました。品川で作られた海苔は浅草の海苔問屋に運ばれ、「江戸名産浅草海苔」として全国に知られました。海苔ひび(海苔を育てるために海中に立てる木の枝)が海に立ち並ぶ様子は、浮世絵の題材としても取り上げられています。
桁船(けたぶね)模型