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中世の品川

平安時代末から鎌倉時代の品川

  品川区域のことが文献資料に現れるのは、平安時代末の12世紀後半からです。大井氏とその一族の品河氏がいまの品川区域を支配していました。両氏は源平争乱を経て、鎌倉幕府の御家人となりました。
  品川区域の大井氏の所領は13世紀末には執権の北条氏一門の手に移りました。

室町時代から戦国時代の品川

  室町時代になり、品河氏の所領は鎌倉公方のものとなります。さらに関東管領上杉氏の支配を経て、小田原の後北条氏が品川区域を治めます。
  このように時代の有力者が品川区域を支配下に置いた理由のひとつは、品川が江戸内湾(東京湾)有数の湊だったためです。目黒川河口付近にあったと考えられる品川の湊は、紀伊半島・東海地方と関東を結ぶ太平洋海運と江戸内湾を経て、旧利根川水系・常陸川水系経由で北関東や東北へ続く流通路の結節点でした。
  品川は港町として栄え、品川のまちには、関東への布教拠点として、各宗派の寺院が建てられ、有徳人(うとくにん)と呼ばれた裕福な商人・海運業者は、寺社に土地や建物を寄進しました。現在、北品川・南品川にある寺院のほとんどはこの時期に建立されたものです。
  江戸時代の品川宿の骨格はこの時期に出来上がったものです。

常滑焼の大甕の写真

説常滑焼の大甕
区内北品川の御殿山から発見されたもので、15世紀前半、愛知県常滑で作られたものです。当時、このような甕が海運で日本各地に運ばれていたため、品川の湊との関連が考えられています。