相生坂

更新日:平成31年2月28日

場  所 東五反田4-10付近
名称の由来  古く江戸時代から「相生坂」と呼ばれており、御殿山方面から寶塔寺前を通る道が、この坂があった中原街道と雉子神社手前で合流していたことから、この名前がついたと言われています。
 当時の中原街道は、江戸城虎之門と中原(現・平塚市中原)を結び、東海道の脇道として重要な役割を担っていました。品川付近での幅員は三間(5.4m)で、白金台から雉子神社付近までは道の両側に町屋が並び、寶塔寺の前は門前町屋になっていました。
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相生坂の景色
相生坂の景色1相生坂の景色2

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