大崎地区の指定文化財
更新日:平成31年4月12日
指定 番号
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指定 年月日
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名称 |
所在地 |
所有者 |
コメント |
建造物 第3号 |
平成16年 8月24日 |
(旧松原家屋敷神) 1棟
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大崎 3-8-20
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居木神社 |
元は旧居木橋村の大地主・松原家の屋敷神。精緻な彫刻に彩色が施され、江戸時代後期の建造と推定される。一部欠損箇所もあり、明治前期に部分的な補修を受けたとも思われるが、概ね保存状態もよい。 |
絵画 第3号 |
昭和56年 2月12日 |
紙本着色元三大師像 1幅 |
東五反田 1-2-29
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宝塔寺 |
元三大師とは、天台宗中興の祖である良源(912~985)のことで、正月三日に亡くなったことに由来する俗称。本図は、法衣を着て上体を斜め左に向け、礼盤の上に端座した大師の画像で、元禄12(1699)年春月文清の寄進。 |
絵画 第4号 |
昭和56年 2月12日 |
紙本着色不動明王 両童子像 1幅 |
東五反田 1-2-29 |
宝塔寺 |
岩の上に斜め右向きに坐り両眼を大きく見開き、右手に宝剣、左手に羂索を持った不動明王と、向かって右に衿羯羅童子、左に制た迦童子を描いた図。室町時代に土佐派の絵師が描いたとされる。 |
彫刻 第3号 |
昭和56年 2月12日 |
木造聖観世音菩薩立像 1躯 |
東五反田 1-2-29 |
宝塔寺 |
左手で蓮華の入った華瓶を持って立つ姿の高さ84.1cmの像。本像は、一本の素材を竪に割って荒彫りし、像の内部を削り取ってからはぎ合わせる割矧ぎの造像法による。平安時代末期頃の作とされる。 |
彫刻 第19号 |
平成3年 3月26日 |
3躯 |
西五反田 6-11-5 |
専修寺 |
高さ69.8cmの阿弥陀如来坐像に、高さ83.3cmの観音と、88.4cmの勢至菩薩が左右に立つ三尊像で、もとは上総国佐是郡(千葉県市原市)正福寺の像。 像内背部に永正5(1508)年の墨署銘がある。 |
古文書 第3号 |
平成2年 3月13日 |
雉子神社文書 8点 |
東五反田 1-2-33 |
雉子神社 |
神事に際して風折烏帽子と狩衣の着用を許可した神道裁許状や、上大崎村の日待年行事当番が所持し、書き継いだ文化9(1812)年から明治4(1841)年までの会計記録である「年行事留帳」などの史料。 |
古文書 第12号 |
平成18年 4月25日 |
松原家文書 252点
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大井 6-11-1 品川歴史館 |
品川区 |
旧居木橋村の名主松原家に伝来する幕末から昭和42(1967)年にかけての文書。近世の名主の役割や明治期の農林業の記録など多岐にわたり、地域の歴史を知るうえで貴重。 |
古文書 第15号 |
平成26年 3月25日 |
下大崎村名主島田家文書 附、写真及びガラス乾板 8点 2点及び 3点 |
大井 6-11-1 品川歴史館 |
品川区 |
旧下大崎村の名主島田家に伝来する江戸時代から近代の文書8点。享和3(1803)年「御用留」帳には江戸城へのさまざまな上納品が記録され、当時の支配関係を知ることができる。附として指定された写真2枚は親族集合写真、ガラス乾板3枚の被写体は建物であるが、特定には至っていない。 |
古文書 第16号 |
平成28年 3月29日 |
上大崎村名主竹内家文書 70点 |
大井 6-11-1 品川歴史館 |
品川区 | 18世紀以後上大崎村の名主役を務めた竹内家に旧蔵されていた文書70点。宗門改帳や五人組帳のほか、東海道品川宿助郷役負担の記録などが含まれ、上大崎村をはじめ品川領の様相を知る上で重要な資料群。 |
歴史資料 第3号 |
平成16年 3月23日 |
文政十一年銘道標(2) 1基 |
西品川 1-6-23 |
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貴船神社に残る道標(史跡第2号)と同時期に造立されたもの。高さ1m7cmの道標で、背面の銘に刻まれた旧居木橋村の名主の松原氏が、文政11(1828)年に造立した。品川宿から居木橋村に入ってすぐの分かれ道(妙光寺手前の分岐点)にあったと推定される。 |
有形民俗 第7号 |
昭和55年 3月11日 |
宝塔寺石造庚申供養塔 2基 |
東五反田 1-2-29 |
宝塔寺 |
寛文8(1668)年に造立の板碑型と、寛文12年に造立の笠塔婆型の2基。両基とも碑面に「南無青面金剛守護所」とあり、三猿の下に旧大崎村の住民と思われる施主の名が刻まれている。元は隣の雉子神社に建てられていた。 |
有形民俗 第8号 |
昭和55年 3月11日 |
徳蔵寺石造庚申供養塔群 5基 |
西五反田 3-5-15 |
徳蔵寺 |
一番大きい塔は、寛永12(1635)年の造立で板碑型、庚申塔では品川区内最古。他の4基は、延宝5(1677)年から元禄2(1689)年の造立で笠塔婆型2基、駒型2基。上大崎村の庚申講中が谷山橋の傍らに建てたが、現在地に移設された。 |
有形民俗 第9号 |
昭和55年 3月11日 |
43基 |
西五反田 3-5-15 |
徳蔵寺 |
43個の自然石の一つひとつに、諸国一宮の社号と造立者の名が刻まれている。六十六部廻国供養の思想に基づいて造られた。徳蔵寺檀徒の多かった上大崎村・居木橋村・大崎村・谷山村の住民の名も見える。 |
有形民俗 第10号 |
昭和55年 3月11日 |
8基 |
西五反田 5-6-8 |
安楽寺 |
寛文9(1669)年から寛政11(1799)年に造立の庚申供養塔5基、寛文10年造立の題目供養塔、廷宝年間(1673~81)造立の馬頭観世音供養塔、大正10(1921)年造立の馬頭観世音道標で、周辺の村々の人が造立したもの。 |
有形民俗 第11号 |
昭和55年 3月11日 |
1基 |
西五反田 4-12-1 |
安養院 |
延宝3(1675)年に造立された高さ3m64cmの大型の笠塔婆型の供養塔。正面に大きく「南無阿弥陀仏」と刻まれている。江戸時代初期に、庚申講の人々が僧侶の指導のもとで造立。 |
有形民俗 第14号 |
昭和57年 2月10日 |
宝塔寺板木 26枚 |
東五反田 1-2-29 |
宝塔寺 |
内訳は、お札板木5枚、御供米袋板木2枚、おみくじ板木17枚、富興行取極書板木2枚。文化7(1810)年制作のおみくじ板木は、一番から百番までの札がすべてそろう。周辺の庶民信仰や娯楽の状況を示すものとして貴重。 |
有形民俗 第18号 |
昭和62年 3月24日 |
徳蔵寺双盤念仏用具 1式 |
西五反田 3-5-15 |
徳蔵寺 |
双盤講の人々が寺の本堂に集まり、念仏を唱え、美声を競った十夜会(昭和初め頃まで行われていた)に使った双盤鉦4面とその台柱、太鼓一張。弘化4(1847)年の銘がある。これらの用具一式が残っているのは珍しい。 |
有形民俗 第25号 |
平成2年 3月13日 |
雉子神社祭礼幟 2旈 |
東五反田 1-2-33
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雉子神社 |
木綿布の中央に大きく社号、右側に年月、左側に筆者の署名を小さく黒字で、上方に注連縄を藍・茶など複数の色で染めぬいている。享和3(1803)年に大崎3か村(上大崎・下大崎・谷山)の氏子が寄進したもの。 |
有形民俗 第28号 |
平成17年 4月26日 |
西品川三丁目石造庚申 供養塔 1基 |
西品川 3-11 |
町会管理 |
延享4(1747)年造立の駒型の供養塔。正面に青面金剛像と二鶏・邪鬼・三猿、左右側面それぞれに3人の奉納者名が刻まれている。傍らには供養塔御堂再建を記念した昭和8(1933)年の「記念碑」が建つ。 |
史跡 第2号 |
昭和53年 11月22日 |
文政十一年銘道標 1基 |
西品川 3-16-31
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貴船神社 |
高さ約1m5cmの道標で、観世音菩薩を示す梵字が刻まれている。背面に刻まれた居木橋村の名主の松原氏が、文政11(1828)年に造立。居木橋村と品川宿枝郷三ツ木との境にあったものと推定される。 |
天然記念物 第5号 |
昭和53年 2月14日 |
雉子神社のイチョウ 1本 |
東五反田 1-2-33
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雉子神社 |
幹周り約4m、樹高約18m、推定樹齢約150~200年。桜田通りに面して立ち、周辺の景観の中で目を引く巨木。 |
天然記念物 第6号 |
昭和53年 2月14日 |
清泉女子大学のフウ 1本 |
東五反田 3-16-21
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清泉女子 大学 |
マンサク科の落葉の高木で、外来樹の台湾フウ。幹周り約3m20cm、樹高約15m、推定樹齢約200年。眺望のすぐれた庭園の中にそびえ、整然とした姿で景観を一層引き立てている。 |
天然記念物 第17号 |
昭和53年 2月14日 |
1本 |
上大崎 1-5-15 |
清岸寺 |
祐天上人(1637~1718)の手植えの桜と伝えられ、清岸寺創立の寛文元(1661)年頃に植えられたと推定される。幹周り約3m10cm、樹高約6m。平成23年に行われた品種鑑定の結果、新品種と判断された。 |
天然記念物 第21号 第22号 |
昭和53年 2月14日 |
誕生八幡神社のイチョウ (1)(2) 2本 |
上大崎 2-13-36 誕生八幡 神社 |
誕生八幡 神社 |
道路の拡張に伴い計三度の移植が行われた。向かって右側(1)は、幹周り約3m30cm、樹高約14m50cm、左側(2)は、幹周り約2m80cm、樹高約11m50cm、推定樹齢はいずれも約250~300年。 |
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