孟宗筍栽培記念碑

更新日:令和6年12月3日

孟宗筍栽培記念碑

              史跡17_孟宗筍栽培記念碑.jpg

種別  史跡  
指定番号  第十七号
所在地  小山1-5-14
指定年月日  昭和55年3月11日
見学  可
詳細  この碑は、竹翁山路治郎兵衛の没したその翌年、文化三年(一八〇六)に建立されたもの。治郎兵衛の子の三郎兵衛が、父の一周忌に際して歯骨を埋め、その上に建てたもので、高さー二五・〇、幅六五・〇センチメートル、自然石型の碑である。
 碑の正面には、「櫓も揖も弥陀にまかせて雪見哉 釋竹翁」、裏面には、「文化三年十二月」と、次郎兵衛の辞世を刻んであり、筍の碑として知られている。
 山路治郎兵衛は、名を勝孝といい、名字帯刀を許された商人で、江戸鉄砲州で廻船問屋を営んでいたが、家業を店の者に任せ、戸越村の別邸に移っていた。
 元文元年(一七三六)に、薩摩藩(現鹿児島県)島津家が、琉球から孟宗竹を入手したことから、竹の栽培に興味をもち、寛政元年(一七八九)、芝の薩摩屋敷から数株を入手して宅地付近に植付け、改良を加えながら数年後には庭一面に繁殖させたといわれている。この栽培を、付近の農家に勧めたため、戸越村から目黒にかけての周辺の村々へと竹林は増加の一途をたどり、関東大震災頃まで、竹や筍はこの地域の特産品となっていた。
 本碑は、殖産興業の記念碑であると共に、伝統的産業であった筍の栽培発祥地と最初の栽培者の功績を顕彰するものである。
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