大井地区の指定文化財
更新日:平成30年7月3日
指定 番号 |
指定 年月日
|
名称 |
所在地 |
所有者 |
コメント |
---|---|---|---|---|---|
絵画 第5号 |
昭和57年 2月10日 |
絹本着色阿弥陀三尊 来迎図 1幅 |
西大井 5-22-25 |
養玉院 |
阿弥陀如来の脇侍に観世音菩薩・地蔵菩薩を配し、三尊が臨終の信者を極楽浄土へ迎える来迎の様子を描いている。室町時代の作と推定される。 |
彫刻 第4号 |
昭和57年 2月10日 |
木造釈迦如来及両脇侍像 3躯 |
西大井 5-22-25 |
養玉院 |
釈迦如来は坐像であり、向かって右側に迦葉尊者、左側に阿難尊者像が立つ。三尊各背部の朱漆銘から、延宝5(1677)年に沙門兆渓が長崎で明の范印官の弟子范宗仁に彫らせたものであることがわかる。 |
彫刻 第5号 |
昭和57年 2月10日 |
木造阿弥陀如来立像 1躯 |
西大井 5-22-25 |
養玉院 |
元は対馬藩(長崎県)宗家の念持仏であったとされる。右手を胸脇に上げ、左手を下げて来迎印を結ぶ姿の高さ91cmの寄木造りの像。平安時代末期ないし鎌倉時代初期に制作されたと考えられる。 |
彫刻 第6号 |
昭和57年 2月10日 |
木造天海僧正坐像 1躯 |
西大井 5-22-25 |
養玉院 |
寛永21(1644)年に大仏師慶雄が制作。高さ90cmの寄木造りの像。天海僧正(1536~1643)は徳川家康の信任厚く、上野寛永寺や養玉院などの開山。 |
彫刻 第7号 |
昭和57年 2月10日 |
木造五智如来坐像 5躯 |
西大井 5-22-25 |
養玉院 |
如来堂(瑞慶殿)内に向かって右から、薬師・宝生・大日・阿弥陀・釈迦の順に安置。いずれも高さ3m前後の寄木造りの大仏。木喰但唱(1579~1641)が弟子とともに制作、寛永13(1636)年高輪の如来寺に安置したが享保10(1725)年と延亭2(1745)年の火災により堂宇が焼失。薬師如来像の頭部のみが当初の作とされる。如来寺は明治40(1907)年に現在地に移転し、大正15(1926)年養玉院と合併。 |
彫刻 第10号 |
昭和60年 3月14日 |
木造白牛禅師坐像 1躯 |
東大井 4-5-2 |
泊船寺 |
僧形姿の高さ32.6cmの寄木造りの像で、天保15(1844)年に仏師大場祐造が制作。出家して白牛禅師(~1820)となった二世杜格斎山奴は、文化年間に泊船寺内にあった芭蕉堂で俳諧に没頭し、この地域に俳諧を広めた。 |
彫刻 第11号 |
昭和60年 3月14日 |
木造松尾芭蕉坐像 附、芭蕉旅姿版木 1躯 1枚 |
東大井 4-5-2 |
泊船寺 |
芭蕉(1644~94、伊賀上野〈三重県〉生まれ)が宗匠頭巾をかぶり道服を着た姿の高さ38.3cmの寄木造りの像で、寛政5(1793)年の芭蕉百回忌に、俳人石河積翆が境内の柳の木で彫ったものと伝わる。 |
彫刻 第12号 |
昭和60年 3月14日 |
木造服部嵐雪坐像 1躯 |
東大井 4-5-2 |
泊船寺 |
羽織を着て端座した姿の高さ29cmの寄木造りの像。嵐雪(1654~1707)は淡路国(兵庫県)に生まれ、幼い頃から江戸で諸大名に仕え、延宝年間に芭蕉の門に入って俳諧師となった。 |
彫刻 第13号 |
昭和60年 3月14日 |
木造宝井其角坐像 1躯 |
東大井 4-5-2 |
泊船寺 |
頭を左方に向け左膝を立てた姿の高さ27.5cmの寄木造りの像で、文化5(1808)年の制作。其角(1661~1707)は江戸で生まれ、医学をはじめ儒学・詩・易等を学ぶ博学で、俳譜は17歳の頃から芭蕉門下で学んだ。嵐雪とともに芭蕉門下の双璧といわれた。 |
彫刻 第18号 |
平成3年 3月26日 |
1躯 |
西大井 5-22-25 |
養玉院 |
養玉院2代住持念海(1623~1690)の高さ50.5cmの寄木造りの坐像。念海の生存中に弟子の玄悦坊快運が願主となり、寛文11(1671)年に仏師長五郎が制作。 |
彫刻 第20号 |
平成3年 3月26日 |
石造線刻地蔵菩薩坐像 1躯 |
西大井 5-22-25 |
養玉院 |
慶安4(1651)年に念仏講衆25人の結縁によって制作。高さ2m67cmの安山岩の表面に結跏趺坐する地蔵菩薩坐像を線刻する。旧如来寺(芝高輪)の本堂の脇にあった納骨堂の本尊として祀られていたもの。 |
典籍 第1号 |
平成2年 3月13日 |
典籍「南浦地名考」 1帖 |
大井 6-11-1 品川歴史館
|
品川区 |
江戸南郊地域について記した地誌。大井村名主の大野五蔵惟図(1763~1847)が寛政年間(1789~1801)に撰述したもの。蔵書は安政4(1857)年の写本と推定される。 |
古文書 第10号 |
平成14年 2月26日 |
浜川神社文書 51点 |
南大井 2-4-8 |
浜川神社 |
浜川神社の前身である厄神社(厄神大権現)および浜川神社に関わる江戸時代から近代の文書と証文類で構成され、地域の歴史の解明や、神社史を知るうえで貴重。 |
古文書 第13号 |
平成21年 7月14日 |
来迎院文書 附、来迎院棟札 31点 7枚 |
南大井 6-18-8 |
来迎院 |
来迎院は、創建当時から大井地域に所在する寺院の中で唯一古文書の存在が確認されている。寺史の解明につながる近世・近代の史料が多く、わずかではあるが、大井村や同村名主大野五蔵惟図関係史料も含まれる。地域の歴史を明らかにするうえで貴重。 |
考古資料 第2号 |
平成9年 4月10日 |
品川区出土玦状耳飾 9点 |
大井 6-11-1 品川歴史館
|
品川区 |
玦状耳飾は縄文時代の装飾品で、環の一部に切込みがある。居木橋遺跡及び池田山北遺跡より出土。石製7点と土製2点からなる。 |
歴史資料 第2号 |
平成元年 3月14日 |
添浦高札(2) 1枚 |
大井 6-11-1 品川歴史館
|
品川区 |
正徳元(1711)年の「諸国浦高札」の追加補充として、正徳4年に発せられた「浦々添高札」で、抜荷買い(密貿易)を禁止する旨が記されている。 |
歴史資料 第6号 |
平成22年 7月13日 |
阿波藍商人墓標群 外面確認 墓標35基 |
東大井 3-13-1 |
来福寺 |
阿波国(徳島県)特産物の藍を扱った阿波藍商人の墓。元は66基。昭和2(1927)年に境外の地蔵堂墓域から境内に移設され合葬。阿波藍商人の江戸への進出や品川地域との関わりを示す。 |
有形民俗 第3号 |
昭和53年 11月22日 |
西光寺石造供養塔 3基 |
大井 4-22-16 |
西光寺 |
明暦元(1655)年造立の延命地蔵菩薩が彫られた供養塔と寛文9(1669)年造立の阿弥陀如来が彫られた供養塔は共に舟型で念仏講中の女性たちにより造立。他の1基は寛文13年造立の阿弥陀如来が彫られた宝塔型庚申供養塔。境外の倉田地蔵堂から境内に移設された。 |
有形民俗 第4号 |
昭和53年 11月22日 |
来迎院石造念仏講供養塔 3基 |
大井 6-15-22 |
来迎院門前 |
来迎院門前の道路に面して3棟の堂が建ち、向かって右側の堂内に明暦2(1656)年と万治2(1659)年に造立の地蔵菩薩が彫られた2基、堂外に寛文7(1667)年造立の「南無阿弥陀仏」と彫られた笠塔婆型の1基がある。いずれも大井村の念仏講が造立。 |
有形民俗 第21号 |
平成元年 3月14日 |
文亀三年銘一石五輪塔 1基 |
大井 6-11-1 品川歴史館 |
区管理 |
文亀3(1503)年に一石で造られた五輪塔。通常、一石五輪塔は供養塔または墓碑として数基から数十基で群在する。旧中原街道供養塔群(2)の傍らに置かれていたものであるが、他所から流入した可能性が考えられる。 |
有形民俗 第23号 |
平成2年 3月13日 |
天保九年銘題目供養塔 1基 |
大井 1-24 |
土地所有者管理 |
天保9(1838)年に池上道と稲毛道との分岐点に建てられた高さ約1m23cmの道標。池上本門寺に参詣する人のために品川宿などの法華信者が造立。 |
有形民俗 第26号 |
平成3年 3月26日 |
品川海苔生産用具 41種類 239点 |
大井 6-11-1 品川歴史館
|
品川区 |
江戸時代から昭和37(1962)年まで、品川浦と大井御林浦で行われていた海苔養殖・生産に使用されていた用具類。海苔網・海苔下駄・海苔簀など多種にわたる。 |
史跡 第11号 |
昭和53年 11月22日 |
山内豊信(容堂)墓 1基
|
東大井 4-8 |
個人 |
神式の円墳型で、墳墓に向かって右縁に自然石の墓碑が建つ。豊信(1827~1872)は土佐藩(高知県)15代藩主で、藩政の刷新に努めるとともに、幕政に強い影響力を持ち、15代将軍徳川慶喜に大政奉還を建議するなど、朝廷と幕府との間の斡旋に努めた。 |
史跡 第12号 |
昭和53年 11月22日 |
大井の井 |
大井 6-9-17 |
光福寺 |
光福寺本堂裏の墓地内にある横穴式の井戸で、いまでも水が湧き出している。寺伝では、元久の兵乱(1204~5)で東国に流された頭中将光福が、子授けを蔵王権現に祈願すると男児が生まれ、この泉が湧き出したので産湯とした。この男児がのちの名僧了海と伝わる。 |
史跡 第13号 |
昭和53年 11月22日 |
大井の水神 |
南大井 5-14-9 |
水神社奉賛会 |
この地から湧き出していた地下水は、飲用や水田耕作などに利用されていた。大井村の人々はその水の恩恵に感謝し、潤沢な水の供給を願い、貞享2(1685)年に祠を建てて水神を祀った。 |
史跡 第18号 |
昭和55年 3月11日 |
元禄八年銘道標 1基 |
西大井 1-6-3 |
区管理 |
元禄8(1695)年、品川用水に石橋を架けた大井村の寂證を中心とする58名の念仏講中が、石橋の無事と通行者の安全を願って造立したと推定される。高さ1m18cmの区内最古の道標。 |
史跡 第19号 |
昭和55年 3月11日 |
1基 |
西大井 6-10-18 |
防長倶楽部 |
神式の円墳型の墓。伊藤博文(1841~1909)は大日本帝国憲法の制定や内閣制度の採用など、近代日本の確立に力を尽くし、初代の総理大臣となった。 |
史跡 第20号 |
昭和57年 2月10日 |
大井・原の水神池 |
西大井 3-1 |
大井水神組合 |
この遊水池は、元の原・出石などの農家が出荷する野菜を洗っていた場所で、傍らの水神社は、水の恵みに感謝した農民が祀ったもの。かつてこの水神は眼の神様とされ、池の水を持ち帰り眼が治った者は池に鯉を放ったという。 |
天然記念物 第1号 |
昭和53年 2月14日 |
光福寺のイチョウ 1本 |
大井 6-9-17 |
光福寺 |
幹周り約6m40cm、樹高約30m、推定樹齢約800年。整った樹形で壮観な姿を見せる。明治時代まで、東京湾に出漁する漁民たちが、航行するときの目印にしたという。 |
天然記念物 第8号 |
昭和53年 2月14日 |
仙台坂のタブノキ 1本 |
東大井 4-3-1 |
会社 |
暖地の海岸地方に多く見られるクスノキ科の常緑の高木。別名はイヌグス。幹周り約3m70cm、樹高約20m、推定樹齢は約300年。 周辺で行われた発掘調査の結果、仙台藩伊達家下屋敷にあった樹木と推定。 |
天然記念物 第10号 第11号 |
昭和53年 2月14日 |
鹿島神社のタブノキ (1)(2) 2本 |
大井 6-18-36
|
鹿島神社 |
本殿の手前向かって左側にある(1)は、幹周り約3m10cm、樹高約10m、推定樹齢は約150~200年。本殿脇の旧本殿の前にある(2)は、幹周り約2m50cm、樹高約18m、推定樹齢は約150年。 |
天然記念物 第12号 |
昭和53年 2月14日 |
鹿島神社のアカガシ 1本 |
大井 6-18-36 |
鹿島神社 |
ブナ科の常緑の高木。本州中部以西の海岸付近の暖地に多く見られる。幹周り約2m10cm、樹高約6m、推定樹齢は約200年。上半分は折れて失われている。旧本殿の後ろに立つ。 |
民俗芸能 第1号 |
昭和60年 3月14日 |
大井囃子 |
大井 6-18-36 鹿島神社周辺 |
大井囃子保存会 |
大井囃子は、関東地方で広く行われている祭囃子のひとつで、伝統ある江戸祭囃子。文政3(1820)年大井村原の倉本彦五郎を発起人とし、目黒囃子系の師匠、倉本三五郎を迎えて誕生した。 |
お問い合わせ
庶務課文化財係
電話:03-5742-6839(直)
FAX:03-5742-6890