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大井の井
更新日:令和6年12月3日
大井の井 | |
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種別 | 史跡 |
指定番号 | 第十二号 |
所在地 | 大井6-9-17 光福寺 |
指定年月日 | 昭和53年11月22日 |
見学 | 可(土日祝で団体で見学をされる際は事前にご連絡ください) |
詳細 | 光福寺本堂後方墓地内の小高い所にあるタブノキの下、「大井」の名を記した横穴式の井戸のこと。入口幅一七・〇、奥行き四五・〇、水面奥行き三〇・〇、深さ二五・〇メートル。水が湧出していて涸れてはいないが、豊富とはいえず、たまっている程度である。 かたわらの石碑に、「開基了海上人産湯井 当地名はこの井泉より起る 当山第廿八代釋了海書」とある。 寺伝によれば、元久の乱によって東国に流された頭中将光福(一説では光政ともいう)は、当時の荏原郡の支配者であった紀実経のもとに身を寄せ、実経の娘を妻としていた。光福は子が無いため、子授けを蔵王権現に祈願したところ、間もなく妻は白布を呑む夢を見て懐妊し、建保元年(一二一三)男児を出産した。この男児は、七歳の時に出家し比叡山で修行して帰国、麻布の善福寺中興の名僧といわれた了海であるという。 この了海の出生の際、近くの神宮寺の後園にあった松の木の下から、忽然と泉が湧き出したので、光福は、この泉の水を産湯として沐浴させて松丸と名付け、この井戸を「大井」と命名した。大井の地名はこの泉に由来すると伝えられている。 了海は、東国を巡回して当寺にきた親鸞聖人の教えを受けてその弟子となり、後、直弟六老僧の随一といわれる高僧となった。了海は、天台宗であった神宮寺を真宗に改宗させ、父の名をとって光福寺と改称したといわれている。 |
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