山内豊信(容堂)墓

更新日:令和6年12月3日

山内豊信(容堂)墓

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種別  史跡  
指定番号  第十一号
所在地  東大井4-8 大井公園脇
指定年月日  昭和53年11月22日
見学  可(9:00~17:00、12/29~1/3は見学不可
詳細  山内豊信は、十五代土佐(現高知県)高知藩主で容堂と号した。文政十年(一八二七)、分家南屋敷の山内豊著の長子として生まれたが、嘉永元年(一八四八)、宗家を継いで藩主となり、人材を登用し藩政の刷新を行った。
 松平慶永、島津斉彬、 伊達宗城ら当時の有力大名と交わり、四人で国政の方向について論議建策したので、「幕末の四賢侯」として並び称されている。
 公武合体を理念とした豊信の強力な行動は、幕閣に忌避され、安政の大獄に関連して隠居し、豊信は封を子豊範に譲り藩邸から品川鮫洲の別邸に移り住んだ。その後、幕府から謹慎を命じられ、大井村の下屋敷に蟄居し、詩酒文墨を友として過していたが、文久二年(一八六二)再び政治の場に復帰し、十四代将軍家茂に上洛を勧め、十五代将軍慶喜には大政奉還を建議するなど、終始朝廷と幕府との間の斡旋に努めた。
 明治五年(一八七二)六月二十一日に没した。遺言により、大井村下総山(現立会小学校校庭のほぼ中央付近)に葬られたが、昭和二十九年小学校用地買収のため、立会小学校脇の現地に移転した。
 墳墓は円型土盛り、前左側に自然石の墓碑に銘文等を刻んでいる。
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