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板垣退助墓
更新日:令和6年12月3日
板垣退助墓 | |
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種別 | 史跡 |
指定番号 | 第四号 |
所在地 | 北品川3-7-15 品川神社裏 |
指定年月日 | 昭和53年11月22日 |
見学 | 可 |
詳細 | 東海寺の塔頭寺院であった高源院墓地の一部に建てられたものであるが、高源院が世田谷区烏山に移転した時、品川神社に接する板垣家墓域はそのまま残された。板垣退助の墓も、品川神社の裏手に取り残され、現在は、退助の墓と同形式でやや小型の絹子夫人の墓も並んでいる。 板垣退助は、天保八年(一八三七)、土佐国(現高知県)中島町で出生。江戸勤番、江戸藩邸の会計職を経て文久二年(一八六二)側用人となり、藩主山内容堂を補佐した。明治維新後は、自由民権運動を推進し、自由党を作り総裁となって各地を遊説して歩いた。 帝国議会開設後は、自由党総理となり議会で活躍、第二次伊藤内閣及び大隈内閣の折は内務大臣を務めた。晩年は政界より退き、大正八年(一九一九)八十三歳で没した。 墓石正面に、「邦光院殿賢徳道円大居士」の法名が、背面に、「従一位勲一等伯爵板垣退助之墓」と位階、爵、勲位等と俗名が刻まれている。墓のかたわらに、遊説中、岐阜において剌客に襲われた時に言ったと伝えられる有名な言葉、「板垣死すとも自由は死せず」を刻んだ碑が建てられている。 |
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