法禅寺板碑

更新日:令和6年12月3日

法禅寺板碑・宝篋印塔・五輪塔 附 遺墳碑・萬霊塔・枯骨之墳

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種別  有形文化財(考古資料)  
指定番号  第一号
所在地  大井6-11-1 品川歴史館
指定年月日  昭和58年3月12日、平成27年3月24日(追加指定)
見学  品川歴史館現在展示中
詳細  安政元年(一八五四)品川台場築造のために御殿山の土取場で土取り作業中、人骨・五輪塔・宝篋印塔と共に、多数の板碑が出土した。掛役人大竹昌言はそれらを法禅寺に納め、人骨は寺内に埋葬した。そして、後年には、昌言の子昌蔵によって、一連の経緯を記した「法禅寺遺墳碑」が建てられた。
 板碑は、仏像や仏の種子を刻んだ卒塔婆で、十三世紀から十五世紀にかけて関東地方を中心に作られた。また、宝篋印塔・五輪塔は中世を代表する墓塔・供養塔であり、石造の宝篋印塔は鎌倉時代中期ごろから造立され、石造の五輪塔は平安時代後期から作られ、鎌倉時代以降全国に広がったものである。
 法禅寺においては、板碑が一一六点、宝篋印塔部材が五二点、五輪塔部材が一〇四点、遺墳碑が一基、萬霊塔が一基、枯骨之墳が一基指定されている。板碑は紀年銘が確認できる範囲で十四世紀初頭から十五世紀後半にかけて造立されており、最古のものは徳治三年(一三〇八)のものである。主尊は、題目のもの一基以外、すべて阿弥陀(キリーク)である。宝篋印塔は十四世紀末から十五世紀前半に、五輪塔は十五世紀初頭から十六世紀初頭にかけて造立されたものである。
 このように、板碑、宝篋印塔、五輪塔が一箇所から大量に発見され、保存されている例は少ない。また、中世における御殿山の霊場的性格や、他地域との文物交流など、品川の歴史を知る上でも貴重な資料群である。
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