流民叢塚碑 附 南無阿彌陀佛碑萬霊納骨堂碑

更新日:令和6年12月3日

流民叢塚碑 附 南無阿彌陀佛碑萬霊納骨堂碑
          
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種別  史跡  
指定番号  第二十一号
所在地  北品川2-2-14 法禅寺
指定年月日  昭和61年3月14日
見学  可
詳細  この碑は、天保の大飢饉で死亡した人たちを祀る供養塔である。高さ一二一・〇、幅五九・〇センチメートル。
 天保四年(一八三三)に始まった天候不順は、その後数年にわたって多数の餓死者を出した。天保七年には、江戸でも困窮者が続出したため、幕府はその対策として御救小屋を建て窮民に米穀を与えている。しかし、天保八年なると、前年の凶作による米不足は一層ひどくなり、江戸周辺の品川・板橋・内藤新宿・千住の江戸四宿にも御救小屋が建てられ、周囲から流入した窮民を救済している。
 品川宿の御救小屋は、農村等周囲から流入してくる者が多く、窮民すべてを救済することはできず、特に、天保八年春~九年春までの一年間には、死者八九一名を数えるに至った。これらの死者は、北品川は浄土宗法禅寺に、南品川は時宗海蔵寺にも埋葬されたが、法禅寺には五百余人が埋葬されたという。
 当初は、土を盛り上げた円墳状の塚で、正面左右に三体ずつ六地蔵の石像が安置され、明治四年(一八七一)塚の上に「流民叢塚碑」が建てられていた。その後、昭和九年(一九三四)の境内整備に当たり、同じ場所にコンクリート製の納骨堂が建てられ、その上に「流民叢塚碑」が安置された。その折、時の住職二十八世勝誉昌賢上人により、「南無阿弥陀仏碑」、「萬霊納骨搭碑」の二基が建立され、「流民叢塚碑」の右側に並べて安置された。
 「流民叢塚碑」の正面には、当時の惨状が刻まれている。品川宿における天保飢饉の状況、救済の実情を示す史料として貴重である。
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